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天国で父はきっと黙っていない 斉藤立よ、鬼になれ 36年前、仁さんが知った五輪で一番大切な「ここ」

全国小学生合宿での斉藤立(左)と斉藤仁強化委員長(2013年)【写真:荻島弘一】
全国小学生合宿での斉藤立(左)と斉藤仁強化委員長(2013年)【写真:荻島弘一】

4年後、気持ちを前面に出して金メダルを獲得する姿がどうしても見たい

 もちろん、立も金メダルをとる力はあっただろうし、覚悟を持って大会に臨んでいたはず。ただ、父ほどの決意はあっただろうか。昭和の時代の金メダリストと比較するのに無理があるのは分かる。時代も違うし、柔道も違う。それでも「最後は気持ちよ」と、天国の仁さんは言っているような気がする。

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 大会1年前にパリ五輪の代表内定が出た時「早すぎる」と言った柔道関係者がいた。「あの性格だと代表決定で安心してしまう。ギリギリまで競わせた方がいいのでは」という意見だった。結果論かもしれないが、追い込まれた方が力を発揮できたのかもしれない。

 仁さんの立への厳しい言葉を聞いていたから、どうしても父親目線になってしまう。ただ、まだ22歳。仁さんの言葉を借りれば「まだ子どもよ」かもしれない。精神的に強くなるのはこれからだ。

 仁さんの重量級への思いは相当なものだった。88年ソウル大会後、超級は金メダルから遠ざかり、その後優勝を果たしたのは04年アテネ大会の鈴木桂治(現男子代表監督)と08年北京大会の石井慧。いずれも代表監督の仁さんが「鬼」になってつかんだ金メダルだった。

 息子の金メダルを見届けるつもりだった「鬼」はもういない。だからこそ、立自身が「鬼」にならないと。4年後は仁さんが最初の金メダルを手にしたロサンゼルスでの大会。気持ちを前面に出して金メダルを獲得し、表彰台で涙する立の姿が、どうしても見たい。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)



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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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