それぞれが抱く平尾誠二氏と「10.20」への思い 命日に歴史的決戦を迎える“必然”
2016年10月20日。この日、日本ラグビー界を語る上で欠かせない人物、平尾誠二氏が亡くなった。53歳の若さだった。神戸製鋼を1988年から日本選手権7連覇へ導いた立て役者。同志社大では史上初の大学選手権3連覇に貢献し、高校時代に伏見工で花園初優勝を飾ったストーリーは伝説のドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルにもなっている。
日本ラグビー界発展の功労者、平尾誠二氏が早逝して、はや3年…
2016年10月20日。この日、日本ラグビー界を語る上で欠かせない人物、平尾誠二氏が亡くなった。53歳の若さだった。神戸製鋼を1988年から日本選手権7連覇へ導いた立て役者。同志社大では史上初の大学選手権3連覇に貢献し、高校時代に伏見工で花園初優勝を飾ったストーリーは伝説のドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルにもなっている。
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現役引退後は神戸製鋼総監督や日本代表監督を歴任し、日本ラグビー界の発展に貢献した。スタンドオフやセンターとして一流のパフォーマンスを披露しただけではなく、頭脳明晰、スマートかつ人情家としても知られた人物。かねてよりのラグビーファンはそれぞれに平尾氏の名シーンを思い浮かべるだろうし、現在の日本代表チームの面々も、直接あるいは間接的に交流を持ち、それぞれが平尾氏に対する思いを抱いている。
日本が史上初のワールドカップ(W杯)ベスト8入りを果たした今大会。13日のスコットランド戦に勝利し、プール戦A組1位通過を決めた時、これは偶然ではなく必然だと思った人も多いだろう。平尾氏が招致に尽力したW杯日本大会で、日本代表が初めて経験する準々決勝という大舞台が、この日、平尾氏の命日に決まったからだ。
この1週間、記者会見に出席した日本代表選手やコーチには、必ずと言っていいほど平尾氏に関する質問が飛んだ。その中でも特に印象的だったのが長谷川慎FWコーチとFB山中亮平の言葉だ。
平尾氏と同じ京都出身の長谷川コーチは、東山高、中央大と進み、サントリーでプレーした。主にプロップとして活躍し、1995年に平尾氏のいる神戸製鋼の日本選手権8連覇を阻止した時もサントリーに所属した。1997年に日本代表に初選出されたが、この時の代表監督が平尾氏。そのため「平尾さんの話になると、ちょっと感傷的になってしまう、私を日本代表に選んでくれたのが平尾さんで、平尾さんと土田さんの関係を見ていて、僕も代表コーチになりたいと思いました」と話す。「土田さん」とは元サントリー監督で現日本ラグビー協会理事の土田雅人氏。平尾氏とは同志社大の同期で、日本代表監督時代はFWコーチとしてサポートした。