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見送り身内10人→実現した夢の光景 涙のサッカー松元、手話ポーズで示した「強い覚悟」【東京デフリンピック】

日本障がい者サッカー連盟設立で状況好転

 状況が好転するきっかけは、2016年の日本障がい者サッカー連盟(JIFF)設立だった。視覚障がいの日本ブラインドサッカー協会や切断障がいの日本アンプティサッカー協会など7団体を統一する組織が誕生。バラバラだった「障がい者サッカー」の窓口を一本化することで、マーケティングはスムーズになり、日本協会などとの交渉もやりやすくなった。

「日本代表と同じユニホームを」は、JIFF設立当初からの目標の1つだった。日本協会やスポンサーなどと話し合いを重ね、23年に同じヤタガラス入りのユニホーム着用が実現。本格的に日本協会の支援も受けられるようになった。14年に日本協会が発表した「誰もが、いつでも、どこでもサッカーに触れられる」ことを目指す「グラスルーツ宣言」も大きな後押しになった。

 JIFFの北沢豪会長は「今までは自分たちが日本代表と呼べるのかと思っていた選手たちが、代表と同じユニホームで変わった。自覚と責任を持った。それが、成績にも表れたんです」と話した。ヤタガラスのユニホームを着たデフ男子代表は23年のW杯準優勝で初めてメダルを獲得。他の日本代表チームも好成績をあげている。

 自らも苦労し、周囲の支えも知っているからこそ、松元は「今が当たり前ではなく、それまでの歴史の積み重ねがあるからこそ。見えない部分でも動いてくださったたくさんの方の思い、歴史を築いてくれた先輩は仲間たちの思い、すべてを背負ってピッチの中で結果を出さなければならない。デフサッカー、すべてのサッカーが強いことを世界に証明したい」と決意を込めて言った。

 国立での試合を発表した会見で涙し、国立での試合前の君が代を聞いて泣いた松元は、この日の会見でも感極まって言葉を詰まらせた。それほどの強い思い、腹を切る覚悟で大会に臨む。「最低でも世界一を」と話し「必ず金メダルをお見せすることを約束します」と声に力を込めた。この日、壮行会前に発表された「HORIZON(水平線)」をコンセプトにした日本代表の新ユニホーム。デフサッカー日本代表は、同じユニホームに袖を通し、水平線の先に広がるまだ見ぬ最高の景色を目指す。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)


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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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