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デフサッカー日本が「夢だった場所」で流した涙 研ぎ澄まされたプレーが与えた感動「心がある素晴らしいチーム」

デフリンピックの金メダル獲得に向けて、デフサッカー日本代表が「夢の舞台」で弾みをつけた。今年11月に東京を中心に開催される聴覚障がい者の国際大会「デフリンピック」に出場する男子日本代表が2日、東京・国立競技場でクリアソン新宿と親善試合を行った。試合は0-2で敗れたものの、日本フットボールリーグ(JFL)首位を相手に健闘。歴史的な試合で貴重な経験を積んだ。

手話を交えながら歴史的な試合を振り返るデフサッカー男子日本代表の松元卓巳主将【写真:編集部】
手話を交えながら歴史的な試合を振り返るデフサッカー男子日本代表の松元卓巳主将【写真:編集部】

JFLクリアソン新宿との親善試合

 デフリンピックの金メダル獲得に向けて、デフサッカー日本代表が「夢の舞台」で弾みをつけた。今年11月に東京を中心に開催される聴覚障がい者の国際大会「デフリンピック」に出場する男子日本代表が2日、東京・国立競技場でクリアソン新宿と親善試合を行った。試合は0-2で敗れたものの、日本フットボールリーグ(JFL)首位を相手に健闘。歴史的な試合で貴重な経験を積んだ。

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 国歌を手話で歌うGK松元卓巳(35)の目に涙が浮かんだ。「夢だったというか、考えられない場所で試合ができることで感極まって。お世話になった方とか家族とか、スタンドの人にこのユニホームを着ている姿を見せることができた」。名門・鹿児島実高2年でデフ日本代表入りして19年目。「今までの苦労してきたことがフラッシュバックして、続けてきて良かったなと思いました」と笑顔を見せた。

 まだまだ認知度が低いデフサッカー。聴覚に障がいを持つ選手のためのサッカーだが、基本的なルールは健常者と同じ。普段は補聴器をつけて健常者と一緒にプレーする選手も多いが、デフでは補聴器を外して試合に臨む。主将の合図は笛と手にした旗、選手たちはアイコンタクトや手話でコミュニケーションをとる。

 デフ日本代表にとって、歴史的な試合だった。小学校の土の校庭で練習していた代表チームが森保ジャパンと同じユニホームに袖を通し、聖地・国立の天然芝のピッチに立った。相手はJFLとはいえ、J3昇格を目指して元Jリーガーも多く在籍する強豪だった。

 スタンドには、経験したこともない3808人の「大観衆」。声援こそ聞こえないが、手話で応援する「サインエール」は届いた。「サポーターの方が振ってくださる旗とかも、声は聞こえない分、見えるんです。すごいパワーをいただきました」と松元主将は言った。

 吉田匡良監督も歴史的な試合を喜んだ。「素晴らしい環境、最高のピッチ、たくさんの観客。リーグ戦のある中で相手をしていただいたクリアソン新宿さんにも、感謝しかありません」。相手のレベルが高いのは分かっていたが「何点とられても、1点取りたかった。そこだけは悔いが残ります」と話した。

 試合は前半21分に連係ミスから失点し、終了間際にもミスから2点目を奪われて完敗だった。声をかけあえば問題ない場面だったが「聞こえないことは言い訳にならない」と吉田監督。5秒に1回は顔を上げて周囲を見ることを徹底しているが「連係ミスです。これから改善していきたい」とFW岡田拓也(28)は悔しがった。

 デフ代表の熱い思いは、クリアソン新宿にも伝わった。「プレーが研ぎ澄まされている感じがした。聞こえない分、見えるものへの集中力がすごい。いい刺激を受けました」と北嶋秀朗監督。MF須藤岳晟主将(29)も「プレーが切れるたびに目を合わせ、手話でコミュニケーションをとる。90分間、意思疎通をし続けようとする姿勢は、すごくリスペクトできます。自分たちは声で意思疎通できるのに、なあなあになることがある。改めてコミュニケーションを大切にしなければと思ったし、いろいろと学ばせてもらった」と感謝した。

 昨年11月の世界ろう者サッカー選手権(デフサッカーW杯)では、決勝でウクライナに敗れたもの初のメダル獲得となる準優勝。デフリンピックでは優勝を目指す。「攻撃のところを積み重ねて、世界一をとります」と吉田監督。相手の北嶋監督も「フェアで激しく、熱くてテクニカルな心がある素晴らしいチームでした。ぜひデフリンピックで優勝してほしいと、キャプテンにも伝えました」と言った。

 東京デフリンピックは11月15日、東京体育館での開会式で開幕。70~80に及ぶ国と地域から21競技に約3000人の選手が参加する。福島・Jヴィレッジで行われるサッカーでは、男女日本代表がともに初優勝を目指す。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)


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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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