バレー古賀紗理那が引退会見 代表の重圧告白「正直きつかった」 決断は主将就任時、今後は未定も「夫のお世話を頑張りたい」
パリ五輪の女子バレーボール日本代表主将を務めた古賀紗理那が16日、都内のホテルで引退会見を行った。パリ五輪をもって現役引退すると大会前に発表。今月3日の同1次リーグで勝利したケニア戦が現役最後の試合となった。
パリ五輪をもって現役引退、都内で会見
パリ五輪の女子バレーボール日本代表主将を務めた古賀紗理那が16日、都内のホテルで引退会見を行った。パリ五輪をもって現役引退すると大会前に発表。今月3日の同1次リーグで勝利したケニア戦が現役最後の試合となった。
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会見場には50人を超える報道陣が集結。テレビカメラ10台以上が並ぶ中、登壇した古賀は「緊張してます」と笑顔。「東京五輪が終わって、パリで主将をやると決めた時から、パリ五輪で選手を引退すると決意してここまで来ました」と明かした。
パリ五輪については「目標であるメダルには手が届かず、悔しかったんですけど、チームとして戦うために積み上げてきたものは少しも消えないと思っている」と悔いなく語った。今後については「全くの未定ですが、少しでもバレーボールに携わって行ければいいと思う」と話した。
決断までの経緯について問われると「東京五輪が終了したあたりから、気持ちも終了していたというか、このメンタルで日本代表に行けないという気持ちもあった」と葛藤がある中で、「(日本代表の)主将をやると決めてから、パリまで先頭で引っ張っていきたいという気持ちになった。パリ五輪までは全力で走り切ろうと決めた」と説明した。
28歳の古賀は2013年、熊本信愛女学院高2年で日本代表デビュー。当時16歳という若さで注目を浴びた。2015-16シーズンにVリーグ・NECレッドロケッツに入団し、最優秀新人賞を受賞。以降も成長を続け、日本のエースとなった。21年東京五輪に出場したほか、今年のネーションズリーグでは主将として日本史上初の銀メダル獲得に貢献。ベストアウトサイドヒッターも受賞した。
日本代表としての戦い、重圧については「正直きつかった。海外を転々とするし、日本代表として戦うのは責任ある立場。大変だったけれど、日本のファンの方だけではなく、海外のファンの方も日本チームに沢山声援を送ってくださって、全くホームじゃないのに、ホームのような雰囲気を作ってくれた。感謝しています」と話した。
夫の西田有志もバレーボール男子日本代表としてパリ五輪に出場。今後の夢を問われた古賀は「全然今後のことは未定。夫のお世話を頑張りたいなと思っています」と笑顔。「私は思ったことをすぐに言っちゃう性格。全部夫にむかつくことも、楽しかったこともすべて言っていたので、本当に大変だっただろうと思いますけど、苦しい時に私の味方でずっといてくれた。そこは感謝しています」と感謝した。
パリ五輪前、自身のSNSで「パリオリンピック2024をもちまして、現役を引退することにしました」と報告。メダル獲得を目指した大会では、1次リーグ1勝2敗の3位で決勝トーナメント進出はならなかった。最後の試合となったケニア戦に3-0で勝利後、チームメートとの写真撮影を終えると涙。感情があふれ出し、コーチに座り込んでしばらく立ち上がれなかった。
中継局のインタビューでは「今日はキャプテンとか考えず、バレーボールが大好きな古賀紗理那として戦いました」と涙ながらに語り、ファンの感動を呼んでいた。敗退決定後にはインスタグラムで「結果は望んでいたものではなかったですが、私たちがチームで駆け抜けてきた3年間はとても価値のあるもので、私の誇りです。この3年間はずっと忘れないと思います」と胸中を記していた。
■古賀紗理那(こが・さりな)
1996年5月21日生まれの28歳。小学2年生でバレーボールを始め、熊本信愛女学院高では春高バレーなどで活躍。2013年に日本代表デビューを果たし、15年ワールドカップ、16年リオ五輪予選等に出場。リオ五輪本戦には出場できなかったが、その後も日本女子を牽引してきた。21年東京五輪にも出場。今年のネーションズリーグでは主将として初の銀メダル獲得に貢献した。夫の西田有志もバレーボール男子日本代表としてパリ五輪に出場した。
(THE ANSWER編集部)