負けたら終わり、因縁・北朝鮮戦で日本を救った猛チャージ 澤穂希が確かに刻んだ20年前の分水嶺
女子サッカーのパリ五輪アジア最終予選、北朝鮮との第2戦が28日、東京・国立競技場で行われる。サウジアラビア・ジッダで行われた第1戦を0-0は引き分け。第2戦に勝ったチームが五輪出場権を獲得する。20年前の2004年にも似たようなシチュエーションで行われた因縁の対決。「クイーン」と呼ばれた大黒柱が緊急事態の中で見せた“魂のチャージ”は、今でも日本女子サッカーの分水嶺となったプレーとして語り継がれている。(THE ANSWER編集部=瀬谷宏)
2004年4月24日、アテネ五輪アジア予選準決勝
女子サッカーのパリ五輪アジア最終予選、北朝鮮との第2戦が28日、東京・国立競技場で行われる。サウジアラビア・ジッダで行われた第1戦を0-0は引き分け。第2戦に勝ったチームが五輪出場権を獲得する。20年前の2004年にも似たようなシチュエーションで行われた因縁の対決。「クイーン」と呼ばれた大黒柱が緊急事態の中で見せた“魂のチャージ”は、今でも日本女子サッカーの分水嶺となったプレーとして語り継がれている。(THE ANSWER編集部=瀬谷宏)
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ファンや関係者よりも、ピッチの選手たちが震え上がった。負ければ終わりの一発勝負。その中でエースナンバー背番号10の澤穂希が猛然と北朝鮮に襲い掛かった。キックオフ直後、ボールを持った相手のエースにショルダータックル。尻もちをつかせ、日本がノーファウルでボールを奪ってシュートまで持ち込んだ。「あれでいけると思った」と選手たちが口を揃えたプレー。澤は誰よりも強い意気込みを体で示した。
2004年4月24日、国立競技場で行われたアテネ五輪アジア予選は、女子サッカーの未来がかかっていた。まだ「なでしこジャパン」の愛称もない時代。前回2000年シドニー五輪の出場を逃したことで注目度は下降し、当時の各クラブを支えていたスポンサーも次々と撤退していった。今回、再び五輪を逃したら女子サッカーそのものが日本から消えるかもしれない。そんなフレーズも決して大袈裟ではなかった。
それでも選手たちは諦めなかった。地力を強化し、2003年7月にメキシコとの大陸間プレーオフを制してW杯出場を決めると、少しずつ女子サッカーの認知度も上昇。火を消さないためにもアテネ五輪出場は希望や願望ではなく、選手たちにとって“使命”だった。1次リーグを勝ち上がり、迎えた北朝鮮との準決勝。2つのアジア枠をめぐり、勝てば五輪。負ければ五輪消滅という運命の決戦を日本協会も後押しすべく、国立への来場を呼び掛ける大々的なキャンペーンを実行し、テレビ朝日系列で地上波生中継も決まった。スタンドを埋めた観客は3万1324人。澤は「会場が一体化している」と意気に感じた。
常識では試合に出場できる体ではなかった。大会前の練習で右膝半月板を損傷。だが、その情報は外部に漏れず、大会が終わってから明らかになった。北朝鮮戦当日の朝、ベッドから起き上がれないほどの激痛を感じた澤。弱音を吐かないクイーンが初めて試合の欠場を申し出た。それでもチームメートは「いてくれるだけでいい。立っているだけでいい」と懇願。その言葉に後押しされた澤は右膝にぐるぐる巻きのテーピングをして先発のピッチに立った。そしてチームを勢いづける開始早々の魂のプレー。当時、チームの指揮を執っていた上田栄治監督でさえ「信じられない」と驚いた。
前半10分に相手のクリアミスを見逃さなかった“ボンバー”荒川恵理子のゴールで先制すると、同アディショナルタイムに相手のオウンゴールで追加点。後半にはセットプレーから大谷未央のゴールでダメ押しした。終わってみれば3-0の完勝。1991年以来、国際Aマッチ6連敗と歯が立たなかった北朝鮮を破っての五輪出場権獲得に、選手たちは喜ぶと同時に「これでまだサッカーができる」と安堵した。
もし、あの北朝鮮戦で負けていたら、日本の女子サッカーはどうなっていたのか。そんなネガティブな考えを一掃した澤の“魂のチャージ”。2004年アテネ五輪ベスト8、2008年北京五輪ベスト4、そして2011年ドイツ女子W杯優勝へとつなげた伝説のプレーだったのは間違いない。
(THE ANSWER編集部・瀬谷 宏 / Hiroshi Seya)