本田真凜、宇野昌磨と「交際順調?」に「は、はい(笑)」と照れ笑い スケーター仲間たちの支えで「頑張れた」
フィギュアスケートの2016年世界ジュニア選手権女王・本田真凜(JAL)が11日、都内で現役引退会見を開いた。ジュニア時代から頭角を現し、高い表現力で銀盤を彩った22歳。競技者としてのスケート人生にピリオドを打ち、心境や理由を告白した。会見では今後もスケートを継続していくことを打ち明け、宇野昌磨(トヨタ自動車)との交際について問われると「は、はい(笑)」と照れ笑いで認めた。
本田真凜が引退会見
フィギュアスケートの2016年世界ジュニア選手権女王・本田真凜(JAL)が11日、都内で現役引退会見を開いた。ジュニア時代から頭角を現し、高い表現力で銀盤を彩った22歳。競技者としてのスケート人生にピリオドを打ち、心境や理由を告白した。会見では今後もスケートを継続していくことを打ち明け、宇野昌磨(トヨタ自動車)との交際について問われると「は、はい(笑)」と照れ笑いで認めた。
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本田が競技者として現役最後の舞台に立った。報道陣は45社が大挙。上下白のスーツに身を包んだ本田は、会場に入る際に一礼し、登壇した。無数のフラッシュを浴びながらマイクを握った。「皆さん、こんにちは。本田真凜です。お知らせの通り、今シーズンを持ちまして選手生活を終える決断をしました」と報告。そして、21年の競技人生への感謝を述べた。
「ここまでたくさんの方に応援してくださり、ありがとうございます。今年で21年目になりますが、こんなに頑張ってきたからこそ、たくさんの方に感謝しています。たくさん続けて、頑張ってきたからこそたくさんの方に出会えた。いろんな葛藤に向き合って乗り越えられました。これまでの人生はどんな時を振り返ってもスケートがあります。良い時もそうでない時もありましたが、どんな時も幸せな競技生活だったと思います。本日はよろしくお願いします」
会見中には宇野昌磨との交際は順調かと問われた。「は、はい(笑)」と照れ笑いで認めた本田は「宇野選手に限らず、皆さん小学校の時から頑張ってきた仲なので。幼馴染という感覚で、今季で最後ということは周りの方、長くやってきた仲間たちは知ってくれていて、最後の試合は自分の中で状態が良くなかったけれど、頑張れた。最後までいろんな支えがあったからこそ、自分がスケートが大好きなまま、引退という形までたどり着けたと思う」と述べた。
2歳でスケートに出会い、2016年世界ジュニア選手権で優勝。安藤美姫、浅田真央らに続く当時7人目の快挙だった。華麗な所作、唯一無二の表現力で銀盤を彩り、天真爛漫なキャラクターでも人気に。インスタグラムのフォロワーは126万人を誇る一方、17年のシニア転向後は伸び悩み、注目度と成績のギャップに苦しむ時期もあった。それでも「2歳の頃は引退の発表をしていると想像していなかった。この景色を伝えたら凄くビックリすると思います」と終始笑顔で競技人生を振り返った。
思い出の大会を問われると「2歳で兄が先にやっていて私も始めた。きょうだいで切磋琢磨して京都の大会できょうだい4人で優勝できたのが嬉しかった」と語った。今後については「スケートが大好き。大好きなまま競技を終えられて、多くの方が私の演技を楽しみにしてくださっている以上素敵な演技をお届けしたい」といい、アイスショーなどに出演していくことを示唆した。
現在は明大4年。9年連続でエントリーした昨年12月の全日本選手権は右骨盤痛を抱え、ショートプログラム(SP)最下位の28位でフリーに進めず。競技者として現役最後の舞台となり、プロスケーターなど今後の進路が注目されていた。およそ30分の会見後、写真撮影を終えると「ありがとうございました」と報道陣に挨拶。お辞儀をしながら降壇し、最後に出口で振り返ると、胸に手を当てながら一礼した。
■本田真凜(ほんだ・まりん)
2001年8月21日、京都府生まれ、22歳。5人きょうだい3番目の次女。2歳から氷に乗り、12年全日本ノービス選手権は当時歴代最高得点で優勝。15年に全日本選手権初出場。ジュニアながら9位となり、16年は自己最高の4位に入った。同年世界ジュニア選手権で初出場初優勝し、17年もアリーナ・ザギトワ(ロシア)に次ぐ準優勝。兄・太一さん、女優の妹・望結、紗来とともにスケート一家として知られる。
(THE ANSWER編集部)