大谷翔平が1890年以来の歴史的躍動 当時日本は明治時代、時の首相は山縣有朋…米ファン驚き
米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平投手は27日(28日)、本拠地ホワイトソックス戦に「2番・投手兼DH」で出場。6回1/3、102球を投げて4安打1失点、10奪三振の好投。打っても2本塁打と大暴れし、4-2の勝利に貢献した。7勝目を挙げた大谷は、1890年以来の記録も樹立。米メディアが脚光を浴びせると、米ファンから「19世紀まで遡らなければいけないのか」と驚きの声が上げられている。
ホワイトソックス戦に「2番・投手兼DH」で出場
米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平投手は27日(28日)、本拠地ホワイトソックス戦に「2番・投手兼DH」で出場。6回1/3、102球を投げて4安打1失点、10奪三振の好投。打っても2本塁打と大暴れし、4-2の勝利に貢献した。7勝目を挙げた大谷は、1890年以来の記録も樹立。米メディアが脚光を浴びせると、米ファンから「19世紀まで遡らなければいけないのか」と驚きの声が上げられている。
【PR】学生向けのお得プランが新登場!ABEMA de DAZN 学割キャンペーン、通常年額の半額でAFCアジア予選・日本代表戦、欧州リーグなどが視聴可能に
大谷は、投げては本塁打王を争うルイス・ロバートJr.から2三振を奪うなど2ケタ奪三振の力投。中指の爪が割れて降板したが、許した安打は4本のみだった。打っては初回の第1打席で27号ソロ。3回の第2打席で四球を選ぶと、5回の第3打席には右前打で再び出塁。降板直後の7回に立った第4打席では逆方向への28号を放ち、自ら勝利を手繰り寄せた。
大谷はこの活躍で、またもや記録を作っていたようだ。スポーツのデータやニュースを提供する米スポーツメディア「オプタスタッツ」公式ツイッターは「エンゼルスのショウヘイ・オオタニは、1890年6月10日トレド・マウミーズのジャック・スティベッツ以来、1試合で4出塁以上、2本塁打以上、10奪三振以上を記録したMLB史上初の選手になった」と紹介した。
日本は当時、まだ明治23年。当時の首相は山縣有朋で、7月に第1回衆議院議員総選挙が行われた年だ。大谷が作った記録には、米ファンから「19世紀まで遡らなければいけないのか」「130年以上前だと!」「とてつもない」「笑うことしかできないよ」「狂気だ」と驚きの声が上がっていた。
(THE ANSWER編集部)