「率直に悔しかったです」 松田瑞生、自己ベストで大阪国際Vなのに悔し涙のワケ
大阪国際女子マラソンが30日、大阪・ヤンマースタジアム長居発着の42.195キロで行われ、26歳の松田瑞生(ダイハツ)が2年ぶり日本人大会最多となる3度目の優勝を果たした。2時間20分52秒は自己ベストを55秒を上回り、21年一山麻緒の大会最速2時間21分11秒も更新した。7月の世界選手権の派遣記録(2時間23分18秒)を突破し、代表入りに前進。24年パリ五輪代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC、23年秋開催)の出場権も獲得した。
大阪国際女子マラソン
大阪国際女子マラソンが30日、大阪・ヤンマースタジアム長居発着の42.195キロで行われ、26歳の松田瑞生(ダイハツ)が2年ぶり日本人大会最多となる3度目の優勝を果たした。2時間20分52秒は自己ベストを55秒を上回り、21年一山麻緒の大会最速2時間21分11秒も更新した。7月の世界選手権の派遣記録(2時間23分18秒)を突破し、代表入りに前進。24年パリ五輪代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC、23年秋開催)の出場権も獲得した。
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レース後に流したのは悔し涙だった。松田の優勝インタビュー、第一声は「率直に悔しかったです」と満足感はなし。「自分の目標は達成できませんでした」。20年名古屋ウィメンズで一山がマークしていた2時間20分29秒の国内記録を更新できず、それが涙の理由だった。ただ、それも松田が持っている向上心の裏返しだ。
それでも「ひたむきに頑張った結果が、こういう良き結果につながったことは素直にうれしく思います。果敢に前半から攻めたことがこの結果につながった」と前向きに話し、ファンに向けては「2年ぶりの大阪へ帰ってきて優勝という結果で終われたことをうれしく思います。また、松田瑞生ここにありという走りができるよう精進して参ります。温かい応援よろしくお願いします」と呼びかけた。
その後に行われたテレビインタビューでは、アテネ五輪金メダリストの野口みずきさんから質問を受け、30キロ付近の坂について「きついです」と明かした。「あそこを越えるまでもきつかったけど、あそこからが世界と戦う第一歩だと思っていた。粘り切りたかったけど、そこが粘り切れなかったことが自分の弱さであり課題かなと思います」と語った。
レース中は世界陸上をイメージしていたといい、松田は「世界の猛者たちと戦いたいという気持ちが強かったので、きつい時に世界の選手たちはどういうレース展開をするのか、頭に置きながら走っていた」と明かした。
レースは18、20年女王の松田瑞生が引っ張った。5キロ地点を16分28秒のトップで通過。上杉真穂もトップ集団で食らいついた。2人は10キロを33分2秒で通過。3番手以下に48秒差をつけた。中間地点は1時間9分57秒で3番手に1分20秒差。この辺りから松田が抜け出し、30キロ付近でのフィニッシュ予想タイムは2時間19分43秒で、05年野口みずきの日本記録2時間19分12秒に迫るペースだった。
終盤は松田が独走態勢に入り、2位に31秒差の1時間39分15秒で30キロを通過。トップを譲ることなく、最後まで力強く走り切った。
松田は20年大会で2時間21分47秒の日本歴代6位(当時)の好記録で優勝。残り1枠だった五輪代表の最有力に躍り出た。しかし、同3月の名古屋ウィメンズで一山麻緒が松田の記録を上回って代表内定。あと一歩で五輪出場の夢が絶たれた松田は悔し涙を流した。21年名古屋ウィメンズは意地の優勝で嬉し涙。24年パリ五輪に向け、地元・大阪でも強さを見せた。
(THE ANSWER編集部)