たった「0.17点差」で五輪を逃した中野友加里 3年間引きずった2009年12月27日の記憶【THE ANSWER Best of 2021】
0.17点差で逃した代表切符「私は、最後の最後で気持ちで負けてしまった」
12月26日に行われたSPは、すでに内定している安藤を除く、上位2人に代表切符が与えられる構図。
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「オペラ座の怪人」を演じたショートプログラム(SP)は納得の出来だった。68.90点をマークし、首位の浅田と0.22点差の2位発進。「持っている力を最大限に出せた」。翌27日に行われるフリーで五輪切符獲得へ、絶好の位置につけたが、しかし――。
最終グループ、プレッシャーがかかる1番滑走で登場した。プログラムは「火の鳥」。冒頭の3回転ルッツ―2回転トウループ―2回転ループ、最初のルッツでバランスを崩し、単発に。咄嗟に思考を巡らせ、3本目の3回転ルッツに取りこぼした分のコンビネーションをつけようと試みた。しかし、スピードが足りず、2回転トウループ―2回転トウループに変更。演技構成点は8.8点から8.6点になった。この0.2点が運命を分けた。
さらに最後のスピン要素でレベル4を取りこぼし、加点を引き出せず。「ジャンプはその日の調子によって変わるけど、スピンは裏切らない。なのに……」。得点は126.83点。祈るような気持ちで残り5人の演技を待った。そして、決まった総合順位。
1位 浅田真央 204.62点(69.12点+135.50点)
2位 鈴木明子 195.90点(67.84点+128.06点)
3位 中野友加里 195.73点(68.90点+126.83点)
0.17点。そのわずかな差によって、中野さんは夢舞台を逃した。今も残る表彰式の写真に涙はない。しかし、セレモニーが終わり、舞台裏に下がると自然と涙がこぼれたという。コーチらに何か言葉をかけられたが、平静さを失い、よく覚えていない。
唯一、表彰式の前に佐藤久美子コーチに「立派な3位だから表彰台に堂々と立ちなさい」と言われたことだけは記憶にある。
「五輪シーズンに代表に選ばれる一つのポイントがGPシリーズ。ファイナルに進めれば、五輪切符が近いものになります。なので、とにかくGPファイナルに出ておかないといけないと思いました、シーズン中に怪我も増えて思うように調整もできず、体力もどんどん落ちていって……。気持ちも弱くなってしまったと思うんです。もちろん、練習量は積んでいましたが、その気持ちの弱さがどこかで本番に出てしまいました」
12月上旬。同門だった小塚崇彦と2人だけで中京大のリンクで合宿を張った。佐藤信夫コーチの下で「何かに憑りつかれたかのよう」(中野さん)に練習し、本番1週前には一つのミスもないほど、完璧に仕上げた。しかし、夜になると寝られないほどに緊張していた。
「不安ばかり抱えていたシーズンで『五輪に出られなかったらどうしよう』とずっと怯えていました」。SPを終えた夜、夢を見た。実際より大きな失敗をして5位で終わるというもの。ステップアウトもレベルの取りこぼしも「こうなったら嫌だ」と胸を巣食う不安が具現化したものだった。
「普段なら出ないことが出てしまった。レベルの取りこぼしがなければ、ジャンプの変更をしなければ、と。あれから何度も何度も思ったし、後悔もありました。(佐藤信夫)先生からも『あそこがなければ……』と。でも、それが大会の本番の怖さであり、気持ちの弱さでした」
フィギュアスケートとは1人で1万人の観衆の前に立ち、演技をする採点競技。氷の上は、いつだって独りだ。五輪という4年に一度しかないチャンスをかけ、SPとフリーを合わせた7分間で雌雄を決することの重み。中野さんの経験は、それを教えてくれる。
「私は、最後の最後で気持ちで負けてしまった、ということです」