松田直樹が旅立った病院の前を今も通る田中隼磨「なぜか違う道を行く気になれない」【THE ANSWER Best of 2021】
我が道を行くヤンチャなマツさんの背中を見て感じたこと
反対に、マツさんの良くない部分もたくさん知っています。一度、退場処分になってキャプテンマークをピッチに投げつけたことがあって。それを近くで見ていた自分はついスイッチが入ってしまって「こんなことするならキャプテンやめてしまえよ!」と言ってしまった。マツさんは振り向かずにロッカールームへ引き揚げていったけど、きっと聞こえていたでしょう。
僕はそのまま岡田さんに「あんなのがキャプテンだからチームがこんなふうになっちまうんだよ!」ともう止まらない状態になってしまって(苦笑)。試合が終わって数日してマツさんから「隼磨、そういえばオレが退場した時に何か言っていたよな?」と言ってきたのは、チームや仲間に対して申し訳ないことをしたと思ったからですよね?
そうやっていつも我が道を行くヤンチャなマツさんの背中をずっと見てきました。あっ、背中といえばマツさんが2001年に日本代表の一員としてフランス代表と対戦して0-5で大敗した後、帰国してそのまま東戸塚のクラブハウスに来て筋トレを始めたのは衝撃的でした。それで僕に「世界と戦うには“後ろの筋肉”が大事なんだよ」と語り始めた(笑)。背中やお尻、太もも裏の筋肉の重要性を教えてもらい、僕も筋トレでは後ろの筋肉を意識するようになりました。だから39歳になっても現役を続けられているのはマツさんのおかげです。
今、僕の背中には3番があるけれど、松本山雅の背番号3は松田直樹しかいないと思っています。僕は選手やスタッフ、そしてファン・サポーターを代表してマツさんのユニフォームを着ているだけ。自分の背番号という意識はまったくありません。
試合中や練習中にふと空を見上げて、マツさんは今頃どうしてるかな、と思う瞬間があります。そのたびにマツさんの闘志剥き出しの姿勢や激しい口調が蘇ってきて、それが自分を奮い立たせるエネルギーになる。そういう意味では僕とマツさんは日頃から会話しているんです。
だから、改めてのメッセージはありません。「松本山雅を強くしてマリノスと戦う」というマツさんの意志を大切に受け継ぎたい。そのために、今はまずJ1の舞台に上がらないと。
そしてマツさん、また一緒に同じピッチで戦いましょう。
松本山雅FC
田中隼磨
(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)