「雲の上」で積み上げた234試合 奥寺康彦氏が掴んだ「レジェンド」の称号
日本人プロサッカー選手第1号として、ドイツ・ブンデスリーガで活躍した奥寺康彦氏(現横浜FC会長・スポーツダイレクター)がリーグの発展に貢献した選手に贈られる「ブンデスリーガ・レジェンド」に選出。6日、都内で記者会見を行った。
「ブンデスリーガ・レジェンド」に選出、挑戦当時を回想「体が震えた」
日本人プロサッカー選手第1号として、ドイツ・ブンデスリーガで活躍した奥寺康彦氏(現横浜FC会長・スポーツダイレクター)がリーグの発展に貢献した選手に贈られる「ブンデスリーガ・レジェンド」に選出。6日、都内で記者会見を行った。
77年、奥寺氏は日本代表の強化の一環としてケルンのキャンプに参加。当時監督だったヘネス・バイスバイラー氏の目に止まり、契約となった。
「当時の日本から見ると、ヨーロッパのリーグは雲の上のようなレベル。『ここでプレーしてみたいな』と少しは思ったが、監督に呼ばれ、『うちでやらないか』と言われたときは、体が震えた。言葉もわからず不安はあったが、『こんなチャンスはないぞ』とサッカー関係者も皆、背中を押してくれた。最後は監督からの熱いラブコールが決め手となり、決心がついた」
奥寺氏はケルン移籍1年目からリーグ優勝に貢献。その後、ヘルタ・ベルリン、ブレーメンに所属。9年間で通算234試合に出場した。
「移籍直後は僕だけでなく監督も『奥寺はサッカーができるのか?』『起用して大丈夫なのか?』と毎回のようにメディアに質問された。(優勝チームに授与される)マイスターシャーレを掲げた瞬間はうれしい気持ちよりも、よかったなとホッとする気持ちが大きかった」
今後、再びブンデスリーガとタッグを組み、リーグの魅力を伝える活動を行うことになった奥寺氏。
「昔はドイツもファン同士の争いごとが激しく、子供や女性は危険だからスタジアムに行けなかった。今のスタジアムはきれいで、ホスピタリティもよく、安全に試合を楽しめる環境。また、リーグのレベルも高くなり、パス1本で局面が変わる試合が多く、一瞬でも目を離が離せない。日本にもっとブンデスリーガを広めていきたい」と語った。
【了】
ジ・アンサー編集部●文 text by The Answer
(C)DFL DEUTSCHE FUSSBALL LIGA / Christopher Jue●写真