なぜ佐藤琢磨は挑戦し続けるのか 弁護士の父に感化「法廷で戦う姿が衝撃だった」
レーシングドライバー佐藤琢磨が17日、東京都内で行われたFWD富士生命の新CM発表会に、母の昭子さんと出席した。同日からオンエアされる新CM「はじめては、一生つづく。佐藤琢磨編」で共演する2人は、発表会でも微笑ましいやりとりで会場を温かい雰囲気で包んだ。また、高校時代の恩師・大澤進さん、鈴鹿レーシングスクールでの恩師・樽井良司さんもサプライズで登場。43歳を迎えてもなお、インディカー・シリーズの第一線で戦う佐藤は「いろいろな方のサポートがあって、ここまで来られた」と感謝を口にした。
FWD富士生命の新CMに出演、17日から「はじめては、一生つづく。佐藤琢磨編」放送
レーシングドライバー佐藤琢磨が17日、東京都内で行われたFWD富士生命の新CM発表会に、母の昭子さんと出席した。同日からオンエアされる新CM「はじめては、一生つづく。佐藤琢磨編」で共演する2人は、発表会でも微笑ましいやりとりで会場を温かい雰囲気で包んだ。また、高校時代の恩師・大澤進さん、鈴鹿レーシングスクールでの恩師・樽井良司さんもサプライズで登場。43歳を迎えてもなお、インディカー・シリーズの第一線で戦う佐藤は「いろいろな方のサポートがあって、ここまで来られた」と感謝を口にした。
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ウェブ限定動画と合わせ、合計5本のシリーズで構成される新CMは、これまで様々なチャレンジをしてきた佐藤が抱く、支えてくれる人々への感謝の気持ちを描き出している。昭子さんと一緒に幼い頃のアルバムをめくりながら、2011年に悪性リンパ腫で他界した父・和利さん、高校時代に自転車競技部の立ち上げに尽力してくれた大澤さん、鈴鹿レーシングスクール入学の道を拓いてくれた樽井さんについて語っている。
発表会では、昭子さんが佐藤の「負けず嫌いエピソード」を披露。小学1年の時、運動会の徒競走で転倒し、血だらけになっても治療を拒み、次の組で走ることを主張したという。「昔から集中したら周りが見えない子だったので」と笑う母の横で、居心地が悪そうな佐藤だったが否定はせず。1987年の鈴鹿GPで初めて生観戦したF1レースについて話が及ぶと「スピードと音に圧倒され、10歳の僕は衝撃を受けました。あの時、一瞬でモータースポーツに魅了された」と昨日のことのように目を輝かせた。
モータースポーツが大好きながら、高校時代は自転車競技に熱中。高校3年生でインターハイに出たいと思い立ち、母校・和光高校に大澤さんの協力を仰ぎ、顧問1人、部員1人で自転車競技部を発足。初出場のインターハイで全国優勝を果たす偉業を成し遂げた。大学でも自転車を続けたが、鈴鹿レーシングスクールの存在を知り、モーターレースの経験がないながらも応募。書類選考では落とされると感じ、入学説明会で面接の実施を熱望した。当時の採用担当者だった樽井さんは熱意に打たれて希望者の面接を実施。その結果、佐藤は3期生として入学し、首席で卒業。F1を経て、2017年にはインディカー・シリーズの人気イベント、インディ500で日本人として初優勝を果たした。
何事にも常にチャレンジし続け、道を切り拓いてきた佐藤に心残りが一つあるとすれば、それは2011年に他界した父と「一緒に酒を飲みながらあれこれ話ができなかった」ことだ。弁護士だった父は悪性リンパ腫を患い、30年も闘病を続けたという。酒好きだった父と一緒に飲むのではなく、むしろ飲酒を控えるように言い続けた立場。鈴鹿レーシングスクールに通いたいと言った時には両手を挙げて喜び、常に背中を押してくれた。「父が法廷で裁判官と戦う姿は衝撃だった。そこから挑戦する姿勢を学んだように思います」と感謝した。
初めて経験する母と一緒の記者会見、また人生に欠かせない2人の恩師のサプライズ登場で、終始笑顔が絶えなかった佐藤。3月15日からは今シーズンが開幕するが、数多くの人々のサポートに感謝しながら、日本人初のシーズン総合優勝を目指す。
(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)