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8年前から何も変わらないモーグル堀島行真の人柄 転倒しても忘れないお礼…真面目で、実直で、負けず嫌いな素顔

2017年、競技から離れた1週間

 堀島が一気に名を上げたのは、平昌五輪前年の17年世界選手権。ノーマークの存在から2冠を達成した。つかんだ栄光は、重圧との戦いのスタートでもあった。

 注がれる期待と自己分析する実力が釣り合わなくなった。心配する周囲の声もあった。「あいつ笑わなくなったな」と。堀島は心の閉塞感を、必死に練習量で振り払おうとしていた。

 とにかく「何でも負けたくない」と自分を追い込み続けた。ただ、若者にとって、心技体のバランスは容易ではなかった。「追い込んでいった結果、気持ちも体も動けなくなってしまった」。それも事実だった。

 当時、日本代表チームの外部講師を務めていた上村愛子さんに何度も相談した。ワードにびっしり箇条書きで質問を記した。「一番楽しいと思うことは何か」「何の技術を出したら楽しいのか」など丁寧に助言をもらった。それでも当時は「自分と向き合っていない時は、何も入ってこない」。理解するには時間が必要だった。

 同年の8月下旬だった。競技から1週間離れた。岐阜・池田町の自宅。夏の陽ざしの中で、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえた。目を閉じて、心をリセットした。ある哲学に行き着いた。「自分に負けた。もう誰に負けても何とも思わない」。違う角度から、自分を見つめると、心が少し軽くなった。同時に腹を括り直した。時間はかかったが、上村さんをはじめ、家族、周囲の人からの助言も胸に染みてきた。

 原点に返った。幼少期から父・行訓さんと二人三脚で積み重ねてきたエア(空中技)だった。小学生時代は夏休みの宿題では「ウォータージャンプ日記」を付けながら、エアを磨いていた。中学時代には実家の庭のトランポリンで空中感覚を磨いてきた。自分のスタイル、世界で戦う武器を再確認。今回のミラノ・コルティナ五輪で「コーク1440」の勝負を選んだのも、堀島らしかった。

 勝負の世界は、常に結果がともなうわけではない。11位だった平昌五輪の後は「気持ちが入り過ぎた。オリンピックの世界、勝負の世界を改めて感じた。4年かけて成績を出せる選手になって戻ってきたい」と言った。その言葉通り、4年後の北京五輪では銅メダルを獲得した。そしてミラノ・コルティナ五輪では新種目に採用されたデュアルモーグルも含め、2種目で表彰台に立った。

 4年に1度の祭典。現状、ウインタースポーツが国民的に注目される機会は限られる。オリンピックの舞台で、堀島行真の生き様が強くにじんでいた。

(THE ANSWER編集部・上田 悠太 / Yuta Ueda)



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