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父母も姉も…バレーボール一家に生まれたドラ1候補 立石正広に五輪選手の母が授けた“信念”

23日に行われるプロ野球のドラフト会議で、複数球団の1位競合が確実視されているのが大学日本代表の4番打者・立石正広内野手(創価大)だ。日本球界待望の右打ちスラッガーが育ったのは、父母も2人の姉も選手というバレーボール一家。母・郁代さんは1992年のバルセロナ五輪日本代表だ。父母からどんなスポーツマンの資質を受け継ぎ、なぜ野球を選んだのか。本人に決定的な影響を与えた“教え”があった。(取材・文=THE ANSWER編集部、羽鳥慶太)

立石は右打席からの強打が魅力【写真:羽鳥慶太】
立石は右打席からの強打が魅力【写真:羽鳥慶太】

父も母も、2人の姉もバレー選手…正月は「毎年、東京体育館」

 23日に行われるプロ野球のドラフト会議で、複数球団の1位競合が確実視されているのが大学日本代表の4番打者・立石正広内野手(創価大)だ。日本球界待望の右打ちスラッガーが育ったのは、父母も2人の姉も選手というバレーボール一家。母・郁代さんは1992年のバルセロナ五輪日本代表だ。父母からどんなスポーツマンの資質を受け継ぎ、なぜ野球を選んだのか。本人に決定的な影響を与えた“教え”があった。(取材・文=THE ANSWER編集部、羽鳥慶太)

 立石家には、年始の恒例行事があった。「毎年東京体育館で、春高バレーみたいな家庭でしたね」。2人の姉、沙樹さん(リガーレ仙台)と優華さん(クインシーズ刈谷)が、山口県の強豪・誠英高でプレー。少年時代の立石は、5年続けて応援に足を運んだ。

 さらに母・郁代さん(旧姓・苗村)は実業団のイトーヨーカドーで活躍し、日本代表として五輪にも出場した。父・和広さんも宇部商と法大でプレー。その中で立石だけは、小学校1年から野球一筋で育った。今頃、バレーボール選手になっている可能性も「あったと思いますよ」と笑う。「小学校に入る前から、バレーボールばっかり見に行っていたはずですし」。その中でなぜ、野球を選んだのだろうか。

「小さい頃からキャッチボールとかはしていたんです。お父さんが実は、ちょっと野球をやりたかったみたいなんですよね。でも小学校の頃から身長が180近くあって、高くなりすぎたのでバレーを続けて。中学校にもスカウトされて、やってみると意外とできちゃって……で、辞められなくなったらしいです」

 立石が友達と野球チームに入りたいと言うと、家族は背中を押してくれた。運動神経抜群の少年に「バレーボールをやったら?」というプレッシャーは全くなかった。「母が出ているママさんバレーとかも見に行ったりしていたんですが、そこは全く自由でした」。ただ立石も白球を追う一方で、気付けば立派なバレーボール通になっていた。

「今でもバレー、見ますし。(日本代表の)石川祐希さんとか好きですよ。スイッチセットとかカッコ良すぎます。まず顔がカッコいいです」

 両親から、バレーボール由来の資質を受け継いだと感じることもある。「ジャンプ力はあると思うんです。単純な垂直跳びとかじゃなくて、トレーナーさんのところで出力する速さとかを測ると」。そして性格形成に影響したのが、母の教えだった。

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