195cm105kg、台湾の大砲が野球を選んだ理由「彼女を探すのが…」 日本に導いた挫折と縁「毎日泣いてました」

高校時代の苦悩…「寮で毎日泣いてました」という理由
「最初の1か月は、寮で毎日泣いてました。練習もきついし、言葉が通じないのもしんどいし……。できなくてバカにされても、日本語ができないストレスがあって。日本の選手とお互いにイライラしてしまって。正直、高校3年間はずっと帰りたいって思ってましたね」
当時、苦手だったものが3つある。「あいさつと敬語、あとは納豆ですね。敬語は台湾にはないので……。納豆も最初は、何でこんなものを食べるんだろうと。今では大好きですけど」。日本語はすっかり流ちょうになった。ここで生きていくすべを身に着けた今となっては笑い話だ。
さらに、高校3年だった2020年は新型コロナ禍のど真ん中。集まっての練習は制限され、夏の甲子園も行われない世の中だった。「大学で野球するって決めて、そのために練習していた感じです。せっかく野球で日本に来て、3年で終わったらもったいないと思って」。上でやりたいという思いを貫き、少しずつ環境にもなじんでいった。
好きな選手には、アーロン・ジャッジ(ヤンキース)を挙げる。中学2年で野球を始めて早々に、アメリカに行く機会があった。1か月ほど現地で練習し、シアトルの球場でヤンキース戦を見た。「その時のフリーバッティングがもう、衝撃すぎて」。レフトスタンドにいると、あっという間に頭上を越えていく。あんな選手になってみたいという憧れを、今も持ち続ける。
台湾はバスケットボールが盛んで、街中にもコートがある。父も選手だったとなれば、そちらの道に進んでもおかしくなかった。ただ父は「身長が伸びすぎたら彼女を探すのが大変だから、もうするな」と冗談めかし、自由に競技を選ばせてくれた。いくつもの可能性があった林冠臣。「野球を選んでよかったです。まだまだこれからですけど」というこの道で、ひたすら上を目指していく。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)
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