渦巻く批判「他国の出場枠を利用した」 国籍変更、内定取消…ビリから2番目の42.195kmの先に響いたカンボジアコール――マラソン・猫ひろし
国籍変更、代表内定で晒された批判「カンボジアの出場枠を猫ひろしが利用した」
イバラの道だった。
テレビの企画をきっかけにマラソンを始めると市民ランナーの育成に実績のある中島進ランニングコーチの指導を受けるようになり、2008年の初マラソン以降どんどん記録を伸ばしていった。09年に堀江貴文氏のインターネット番組に出演した際、国籍を変更してオリンピックに挑戦することを提案されると、何だか気持ちが傾いた。その番組スタッフにカンボジアで宿泊施設の経営に携わっている人がいたという縁もあって、彼は運命に導かれるようにカンボジアのレースに出場するようになる。
自己記録をさらに更新し続け、2010年12月に行われたアンコール国際ハーフマラソンで3位に入る。迷っていた国籍変更を決断して翌年にロンドンオリンピック挑戦を表明するに至る。妻と生まれてくる赤ちゃんを日本に残しての本気のチャレンジによって、2012年2月の別府大分毎日マラソンで自己ベストを大幅に更新する2時間30分26秒のロンドンオリンピック予選カンボジア男子マラソン代表1位の記録を叩き出して、オリンピック切符をつかみ取った。
「映画(NEKO THE MOVIE)で密着してくれているカメラマンの人から『レース前は落ち着きすぎていて大丈夫かと思うくらい』と言われていたんです。走った量はうそをつかないとコーチから言われてきたし、ちゃんと走れば結果は絶対についてくるって思っていましたから。自信があったので、それだけ落ち着いて見えたんだと思いますよ。
家族とも離れての生活で、スカイプでずっとやり取りしていました。あるとき(画面に映った)娘がつかまり立ちして、歩いたんです。驚いて『わっ、歩いたよ』と言ったら、嫁さんが『そうそう、歩けるようになったの』と。それちょっと先に教えてよ~って思ったことを覚えています」
結果を出して実力で出場資格を得ながらも“カンボジアの出場枠を猫ひろしが利用した”と世間からは批判の声が渦巻いた。国籍変更の時には特にそういった反応はなかったというのに、内定報道が出てからは一転してバッシングに。オリンピック出場なんて無理だと思われていたからだろう。カンボジア国内では批判されていなかっただけに、余計に戸惑う彼がいた。
さらにIAAF(国際陸上競技連盟)が出場資格に「国籍取得から1年未満の場合、1年以上の居住実績が必要」との新規定を設けたことで、思わぬ形でロンドンへの道が閉ざされてしまう。
バッシングの最中での内定取り消し。もういいやってサジを投げたっておかしくはない。だが猫は、取り消された日も走った。
「批判されっぱなしでいるのもなっていうのもありました。でも一番は、自分の何か芯はちゃんと貫こうと初志貫徹じゃないんですけどね。ちゃんと最初に決めたことは、何か揺るがないようにしようかなっていうのは、ありました」
知られざる戦いもあった。走ると足が「ボンと膨らむ症状」に苦しんだ。原因は分からず、精神的なストレスからきたものだと思うしかなかった。
日本では芸人活動の傍ら、中島コーチのもとでみっちり鍛えた。カンボジアにいるときは、日本にいる中島コーチが組んだメニューをきっちりとこなした。そのうちに新しい目標ができた。同じく30歳でマラソンを始めた中島コーチの自己ベストである2時間27分20秒台を上回ること。それが「いつも親身になってくれる人」への恩返しだと思えたからだ。
2015年の東京マラソンで自己ベストを更新し、中島コーチの記録まであと20秒に迫った。自然とリオを意識するようになり、2016年5月のカンボジア国内選考会で優勝。あきらめずに走り続けた先に、オリンピックがあった。