斎藤佑樹に野球を続けさせた“たった2行”の記事 メディア業で目指す「ネクスト大谷翔平」の育成
2021年を最後にプロ野球・日本ハムで現役引退した斎藤佑樹氏が11日、新たに野球メディア業に進出することを発表した。株式会社シーソーゲームの取締役兼CIOに11日付で就任。近い将来AIを活用した野球少年少女の活躍を伝えるメディアをつくり、引退したアスリートのキャリアを豊かにするための情報も提供したいという。自身は引退後、少年野球の現場をカメラを担いで回り、現状を観察してきた。専門メディアが必要という考えに至ったのは、自身が“ハンカチ王子”となる前のある原体験にあった。
斎藤佑樹氏が「シーソーゲーム」取締役就任で振り返った思い出
2021年を最後にプロ野球・日本ハムで現役引退した斎藤佑樹氏が11日、新たに野球メディア業に進出することを発表した。株式会社シーソーゲームの取締役兼CIOに11日付で就任。近い将来AIを活用した野球少年少女の活躍を伝えるメディアをつくり、引退したアスリートのキャリアを豊かにするための情報も提供したいという。自身は引退後、少年野球の現場をカメラを担いで回り、現状を観察してきた。専門メディアが必要という考えに至ったのは、自身が“ハンカチ王子”となる前のある原体験にあった。
2006年夏、早実高の投手として斎藤氏は甲子園で頂点に立った。駒大苫小牧高との決勝再試合というドラマ、さらにマウンドで汗をぬぐうのに使った淡いブルーの“ハンカチ”もあり人気は沸騰した。その後進んだ早大、日本ハムでは常に注目の的だった。
ところが、斎藤氏が野球を続ける上で大きなモチベーションとなったのは、そのはるか前、群馬の野球少年だった頃にある。「小さな切り抜きを、今もとってあるんですよ」と振り返るのは、小学5年の斎藤少年が、県大会の投球をほめられた地元紙の記事だ。わずか2~3行の「斎藤佑樹くんが6回を好投」が、その後の道を開いた。高校3年以降に世に出た何万倍もの分量の記事より、心に残っているのだという。
「僕は野球をやってきてよかったと思います。あの頃の記憶があるから、野球人生を全うできた。ほめられて、叱られてということはたくさんありましたけど、小さな記事を書いてもらったことが何よりうれしくて……」