「旨い塩の違い? 簡単よ、塩で朝まで酒が飲めるか」 お金よりオモロイことに生きる久保竜彦、47歳の今
ドラゴンは今も変わらずドラゴンだった。サッカー元日本代表FW、久保竜彦。日本人離れした身体能力と強烈な左足を武器に得点を量産し、2006年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会を目指したジーコジャパンで日本サッカー界待望のストライカーとして嘱望されながら、度重なる怪我でコンディションが上がらず落選。39歳だった2015年限りで引退後は2018年から縁あって山口・光市の港町に移り住み、塩作りやコーヒー焙煎など自然と共生した地方暮らしをしている。「BEYOND(~を超えて)」をテーマに展開する「THE ANSWER」のインタビュー。前編は、47歳になった久保竜彦の今に迫った。サッカーで日本代表まで上り詰めながらミニマムな暮らしを貫く理由、食へのこだわり、お金に対する独自の価値観とは――。(敬称略、取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
「BEYOND」インタビュー前編 サッカーファンが今も忘れないドラゴンの現在地
ドラゴンは今も変わらずドラゴンだった。サッカー元日本代表FW、久保竜彦。日本人離れした身体能力と強烈な左足を武器に得点を量産し、2006年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会を目指したジーコジャパンで日本サッカー界待望のストライカーとして嘱望されながら、度重なる怪我でコンディションが上がらず落選。39歳だった2015年限りで引退後は2018年から縁あって山口・光市の港町に移り住み、塩作りやコーヒー焙煎など自然と共生した地方暮らしをしている。「BEYOND(~を超えて)」をテーマに展開する「THE ANSWER」のインタビュー。前編は、47歳になった久保竜彦の今に迫った。サッカーで日本代表まで上り詰めながらミニマムな暮らしを貫く理由、食へのこだわり、お金に対する独自の価値観とは――。(敬称略、取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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時代は、変わる。昨日の常識は、今日の非常識になる。その変化は、時代とともに加速しつつある。
しかし、変わらない男がスポーツ界にいる。
久保竜彦。
この名前に、あの時代のサッカーファンはどれだけ心躍ったか。
横浜F・マリノスで2003、04年のリーグ連覇に貢献し、ジーコジャパンのエースとしても活躍。豪快なジャンピングボレーを決め、トラップしなかった理由は「めんどくさかった」と言う。40メートル弾を決め、ひょっとこのような顔でゴールパフォーマンスを繰り出す。
無骨な性格と規格外のプレー。サッカー界の「昨日の常識」を覆す存在となり、誰もが世界との真剣勝負を夢見た。
しかし、腰や膝の度重なる怪我に苦しみ、ドイツW杯はまさかの落選となった。以降、いくつかのクラブを渡り歩いて、1度目の引退と現役復帰を経て、39歳だった2015年限りで、そのインパクトと裏腹に、刹那の輝きだった現役人生に終止符を打った。
そして、2018年から移り住んだのが縁もゆかりもない山口・光市にある室積である。内陸は山に囲まれ、瀬戸内海に面した小さな漁師町。メディア露出はそう多くない。47歳。今、どう生計を立てているのか。
「サッカー教室とか、イベントとかやって。室積でコーヒーやったり、塩をやったり、そういう繋がりでお金もらって、一緒に働いて、みたいな感じよね。『来て』と言われたら行くし。(直接は)知らんやつもね、嫁さんがあれやってるから、スマホ。だから(妻経由で)そういう人も来るけども、知った人がほぼ全部よね」
現役時代と変わらぬぶっきらぼうで、でも、どこかぬくもりのある口調で語る。
畑仕事や塩作り。そして、その塩を使ったコーヒー焙煎が日常の大半。室積から連絡船で20分の距離にある牛島という人口50人ほどの小さな島に塩釜がある。
「サッカー教室を何回かやってて仲良くなった社長さんに室積を紹介してもらって、気に入ったけえ。山と海あって、めっちゃ気持ち良かった。人も良かったし、自分に合ってる人も多くて。探検じゃないけど(見て回ったら)塩作りをしとる人がおって、面白そうだけん、手伝いでいいから『一緒にやれますか』みたいな感じで」
小さな縁と、無垢な好奇心に導かれ、新たな生活が始まった。