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「泣きながら練習に行った」乾貴士の少年時代 “セクシーフットボール”へ導いた先輩への憧れ

人に導かれるように決断してきた進路

「最初は、FC東京に行こうと決めていたんですが、マリノスのサッカーとどっちが自分のスタイルに合うのか考えた時、マリノスかなと思い直したんです。当時のマリノスは、いい選手が揃っていたし、松田直樹さんがすごく自分のことを評価してくれた。それが嬉しかったのもありますね」

 乾を評価したのは、松田だけではなかった。当時監督だった岡田武史も乾の才能を見抜き、GMに「彼をすぐに獲ろう」と伝えた。監督や選手など、そういう人たちに認められたことがマリノスに行くことを決めた主因の1つだった。思えば、セゾンから野洲高校に行く時も楠神や仲が良い先輩や岩谷監督など人が絡み、それが決断する際の大きな要素になった。サッカーのスタイルも大事だが、人に導かれるように乾は、その時々の進路の決断をしてきた。

「僕は、こう見えて萎縮するタイプなんです。代表とかに行っても委縮して、自分のキャラとか出せないんですよ。でも先輩とか知っている人がいると、そんなに委縮することなく、楽しくできる。中高時代は、それでほんまに楽しかった。今は経験もあるし、この年齢になったので、どこのチームに行っても自分を出すことができるようになりましたけど(笑)」

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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乾 貴士

サッカー元日本代表 
1988年6月2日生まれ、滋賀県出身。野洲高2年時に“セクシーフットボール”と呼ばれた攻撃的なサッカーで高校選手権初優勝。2007年に横浜F・マリノスでJリーグデビュー、翌08年のセレッソ大阪への期限付き移籍を機に香川真司とのホットラインを確立し飛躍した。11年夏にドイツ2部ボーフムへ移籍すると、翌シーズンからは同1部フランクフルトでプレー。15年にはエイバルと契約し、念願のスペイン上陸を果たす。リーガ・エスパニョーラで通算6シーズンを戦い、166試合16得点はともに日本人選手の最多記録。C大阪への復帰を経て、昨年7月に清水エスパルスに加入。2年目の今季は自身14年ぶりのJ2を戦う。日本代表通算36試合6得点。18年ロシアW杯では2ゴールを奪い、日本のベスト16進出に貢献した。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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