「本気」で打ち込んだサッカーか、スケートか 10代だった高木美帆が迷わず選べた理由
スピードスケート女子1500メートル世界記録保持者の高木美帆(日体大助手)は、早くから頭角を現し、ジュニア世代の頃から世界を舞台に戦ってきた。中学2年生だった2009年2月にはジュニアワールドカップで優勝。同年12月のバンクーバー五輪代表選考会では、1500メートルで優勝すると1000メートルでは3位入賞。いずれも中学新記録を叩き出した。
五輪女王が語る競技人生、ソチ五輪代表落選は「スケート人生のターニングポイント」
スピードスケート女子1500メートル世界記録保持者の高木美帆(日体大助手)は、早くから頭角を現し、ジュニア世代の頃から世界を舞台に戦ってきた。中学2年生だった2009年2月にはジュニアワールドカップで優勝。同年12月のバンクーバー五輪代表選考会では、1500メートルで優勝すると1000メートルでは3位入賞。いずれも中学新記録を叩き出した。
2010年バンクーバー五輪では15歳、中学3年生で代表入り。帯広南商、日体大に進学後も、世界と戦えるスケーターとして成長を続けた高木だが、ここまで順調な道のりを歩んできたわけではない。2013年12月のソチ五輪代表選考会では全種目で5位に終わり、五輪代表はつかめず。大きな挫折を味わった。
「ソチの落選っていうのが、自分のスケート人生の中でのターニングポイントだと思います。ただ、その挫折を味わったから、すぐにメンタルが強くなったのかというと、ちょっと時間は掛かりました。代表入りを逃した後も、いろいろ失敗が続いたので、その期間に腐らずスケートに向き合い続けたことが大きかったのかなと。上手くいかないことがあっても、機会があれば挑戦し続けた。そういう期間を1年ほど過ごした後、周りの環境が変わったこともあり、上手く波に乗り始めた感じですね」
自身でも「腐ってもおかしくないなとは思っていましたね」という落選直後。「何がモチベーションだったのか、自分でもちょっと謎ですね」と笑うが、高木の心の中には「ソチと同じことになるのは嫌だ」という想いがあったという。
「ソチ五輪が終わって、次のオリンピックが目標になった頃、夏場のしんどいトレーニングなどをしながら『こんなにやらなくてもいいのかな』って思うこともありました。でも、そこで気持ちが折れたり適当にやっていたら、ソチの時と結局同じことになってしまう。それは嫌だったので、しんどい時でも踏ん張れましたね」