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なぜ大企業を辞めてまで米国へ 異端の野球選手2人が「もったいない」と言われた選択

米強豪独立リーグと契約を勝ち取った内田聖人【写真提供:アジアンブリーズ】
米強豪独立リーグと契約を勝ち取った内田聖人【写真提供:アジアンブリーズ】

「もったいない」と言われた挑戦、それでも貫けた理由は…

――そんな2人は互いに経由は違えど、米国に挑戦した。なぜ、厳しい環境の海外に道を求めたのか。

谷田「自分は米国に行きたかったわけじゃなく、野球でごはんを食べられるカテゴリー、つまり、プロの野球選手になりたかった。その中で、見たいというオファーがメジャー球団から来たので行こうと。日本では割と知ってもらっていた。『谷田はもう見た、(実力は)分かっている』という感じ。今までのイメージに関係なく、見てくれると思った。向こうは当然何も知らないので」

内田「米国は現実的に、明日クビになることも、明日昇格することもある世界。日本より年齢が重視されない感覚があった。あとは自分が野球で影響を受けた人が何らかの形で米国でプレーしたり、研究していたりしていた。日本の野球が劣っているとは思わないけど、向こうに飛び込まないと野球の深い部分まで経験できないんじゃないか。単純にメジャーの憧れも大きかったかな」

――米国に挑戦するにあたり、2人は会社を辞めた。退部後に大企業のJX-ENEOSで正社員として仕事をする道もあった。高校生であれ、大学生であれ、海外挑戦するには何かを立場を捨てなければいけないこともある。そのリスクはどう考えていたのか。

谷田「必要なのは自分の基準じゃないかと。僕の中では『野球選手になりたい』というのが決める要素の中で一番上だった。野球選手になるために可能性があるなら行こうと。リスクを背負うとか、迷惑をかけるとかあるけど、それよりも野球選手になりたい、可能性あるならチャレンジしたいという方が上だった。どうなりたいか、どうありたいかで決めると、後悔しないかなと思う」

――“どうなりたい”と“どうありたい”はどんなことを思い描いていたのか。

谷田「“どうなりたい”はもちろん、野球選手になり、プロで活躍したいということ。その上で、仮に野球選手じゃなかったとしても人々に影響を与えたり、社会人として活躍できたりということも含め、そういう人間になりたいと。“どうありたい”はそのために可能性のあるものは全部チャレンジしてやっていきたい、というものがあった。当時は米国に挑戦することについてかなり悩んだけど、今振り返れば、そこまで悩むことじゃなかったかな。もっとすんなりと決めても良かったんじゃないかと思うかな」

内田「自分も『野球選手になりたい』が大きかった。あと、自分は退部した後に1年間、社業に就いていたので安定していい会社だと凄く感じた。ただ、自分はカッコいい言い方をすれば、生きるか死ぬかの世界でやってきたので、安定してお金はもらえるというよりは一度きりの自分の人生で後悔したくなかった。当時は23歳で、やれることはやらないと本当に後悔すると思っていた」

谷田「でも、もったいないって周りから言われるじゃん?」

内田「うん、めっちゃ言われるね」

谷田「その時は『もったいないってどういうこと?』って思った。それは(社会人として)実力がないけど、今の会社にいればお金もらえるのに、という意味なのかと。でも、それは会社にとっても意味ないと思う。本当に実力があって会社に成果を残しているなら、もったいないという発想にならない。そう言う人は、そこまで実力がなくて会社に入れたんだから辞めるのもったいないって言われているように感じた。だから、凄く嫌な言い方だなと」

内田「確かに言われた。でも、そこまで何も思わなかったかな。『オレ、もう決めてるし』って」

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