なぜ大企業を辞めてまで米国へ 異端の野球選手2人が「もったいない」と言われた選択
アマチュア球界で異端の道を歩んだ2人の25歳がいる。内田聖人と谷田成吾。内田は早実、早大で甲子園出場、大学日本一、谷田は慶応から慶大で世代別日本代表など、輝かしい実績を持つ。社会人野球の名門・JX-ENEOSではチームメートとして都市対抗出場を目指し、汗を流した。
「内田聖人&谷田成吾対談第1回」―安定を捨てて海外挑戦した背景にある思い
アマチュア球界で異端の道を歩んだ2人の25歳がいる。内田聖人と谷田成吾。内田は早実、早大で甲子園出場、大学日本一、谷田は慶応から慶大で世代別日本代表など、輝かしい実績を持つ。社会人野球の名門・JX-ENEOSではチームメートとして都市対抗出場を目指し、汗を流した。そんな2人は昨年から今年にかけ、人生をかけたチャレンジに挑み、大きなターニングポイントを迎えた。
【第2回】「レールを外れる」という選択 米国挑戦した早慶出身の2人はどう周囲の理解を得たか
【第3回】なぜ、エリートが生まれる? 野球部で過ごした2人が思う「早慶の体育会」の強さ
【第4回】早慶戦は格別?やっぱり就職に強い? OB2人の本音「早慶の体育会」で良かったこと
内田は故障の影響で17年限りで社会人を戦力外になって以降、野球の道を捨てず、天然ガスの営業マンとして社業に勤しむ一方、個人でトレーニングに励んだ。結果、自身でも驚くような復調を遂げ、今年2月から1か月、米国に渡り、トライアウトに挑戦。米強豪独立リーグと契約を勝ち取り、会社を退社して今月から米国に渡る。最大の目標は、MLBもしくはNPBで成り上がることだ。
「由伸2世」の異名で知られた谷田は昨年3月にJX-ENEOSを退社。MLBトライアウトに挑戦し、複数のメジャー球団から声がかかり、テストを受けた。惜しくも契約はならなかったが、以降は日本で四国IL徳島でプレー。NPBドラフトを目指したが、指名は叶わず。25歳で潔く現役引退を決断。今年1月から六本木のIT企業に入社し、ビジネスの世界で成功を目指して第二の人生をスタートさせた。
異色の2人が語り合うと面白いのでは? そんな経緯から、このほど対談。米国挑戦の背景から2人が育った早慶野球部の秘話、現在のアマ野球界に思うことまで本音で語り合った。最初のテーマは「米国挑戦」。前編となる第1回は、なぜ安定を捨てて海を渡るという選択をしたのか。「もったいない」と言われながら貫いた挑戦の思いとは――。次世代が進路を選択するヒントを探る。
◇ ◇ ◇
――そもそも2人の出会いはいつだったのか。互いの印象は。
内田「中学時代に対戦したよね。2年の冬だったかな、自分の地元の伊東で。2本くらい打たれたよ」
谷田「ああ、行ったね。俺、投手で投げたよね?(笑)」
内田「そうそう。オレ、打ったもん。でも、打たれたのは中学で初めてくらい。その相手が谷田。『凄いバッターがいる』と聞いてはいたけど、本当だった。高校では夏の大会前に早実と慶応の定期戦があったけど、高校では打たれたくなかった」
谷田「打てなかったね、高校は。だけど、大学では一番いいタイミング、場面で打てた。3年春の早慶戦が優勝決定戦になって、同点の2死走者なしでレフトスタンドに打った。だけど、球の質がいい。直球が『ドンッ』って来る感じ」
内田「ENEOSで最後の方に状態が良くなった時、一緒に練習していた。僕が投げて谷田が打つ。谷田も打つ練習がしたかったので」
谷田「自分も2年目にレギュラーを外されていた時期が長かったので、実戦で打席に立てない。内田も投げる機会がない。じゃあ、2人で練習するかと」
内田「その時も結構打たれたね。でも、その時に打者をイメージして投げて、だんだんといい球が投げるようになったかな」