「五輪でメダル獲っても入社します!」 元フジテレビ中野友加里が語る就活時代の秘話
競技の経験が生きたテレビ局時代「放送に関わることができて良かった」
中野さんは10年4月にフジテレビ入社後、4つの部署を経験した。映画調整部、映画制作部、スポーツ局では第一制作部(「すぽると!」班)、スポーツ業務部。「踊る大捜査線」「アンフェア」という人気作品の裏方など大手放送局ならではの業務を経験し、結婚・出産を経て19年3月に退社した。現在はフィギュアスケートの講演のほか、地方大会などで審判員としても活動。自由な立場になり、活躍の場を広げている。
35歳となった今、引退後に選んだセカンドキャリアは間違いじゃなかったと振り返る。
「何も分からないまま社会人となり、甘やかされ、スケートしかやってきていない人間。最初は打ちのめされました。1年目、特に最初の3か月です。何が何だか分からず、辞めたくなる時もありましたが、それを乗り越えて1年経つと、周りの人の言葉が分かるようになり、分かるようになると仕事もできるようになりました。自分の仕事が終われば、何か仕事ないですかと聞いて回って、自分で自分を奮い立たせていました」
なかでも、貴重な時間となったことは入社3年目の12年からスポーツの情報番組「すぽると!」に携わったこと。フィギュアスケート以外も含め、多くのスポーツ取材を経験。スタジオではフロアディレクターとして番組を支えた。
「速報が飛び込んでくるのがニュース番組ならでは。その場合は柔軟に対応しなくてはいけません。プログラムディレクターがもともと構成のパターンがA、B、Cと用意していたものを BからCに変えて動かしていく。それはフィギュアスケートの演技で失敗した後に計算式を立てて構成を切り替えていくのとすごく似ていて、フィギュアスケートの経験が生きる場面も多々ありました。だからこそ、放送に関わることができて良かったと今は思っています」
自身が経験したフィギュアスケートのニュースについても「スタジオでカンペを出していました」と笑う。忘れられないのは14年ソチ五輪。1か月間ソチに滞在し、現地のスタジオに缶詰で寝不足の生活に。「寝顔を絶対見られたくない人間なので、機材に顔をつけて寝ていました」というのも良い思い出だ。
ちなみに、五輪の閉会式終了後に活躍した選手をディレクターが捕まえ、インタビューに答えてもらうお馴染みのシーン。日本選手団の中から見つけ出し、羽生結弦をフジテレビのカメラの前に立たせたのは、実は中野さんだったという。
それも、フィギュアスケートに育てられたから得られた経験だった。「一番は3歳でスケート靴を履き、24歳まで一つのことを続けてきた“継続”です」と中野さん。「それは、すべてのことにつながっていて、途中でやめるのではなく、なんとか続けようと思うことです。勉強も、大学の単位もそうでした。今、育児をしていても感じます。どんなことも、なんとか食らいついていくのはスケートから学んだことです」と経験を強みに変えた。
「スケート生活に比べたら9年間とフジテレビ社員生活は短い期間でしたが、自分を成長させ、多くの方と出会わせてくれた貴重な日々でした。そして、もう一度フィギュアスケートの審判としてスケート界に携わろうと思ったきっかけを作ったのもフジテレビです」
フィギュアスケートは多くの選手が幼少期から始め、日本では限られた練習環境の中で競技に打ち込んでいる。中野さんの周りにも一般就職した元選手の活躍のフィールドの幅は広く、商社、ITから金融、化粧品メーカーまで幅広く、オールマイティーに活躍している。
最後に、フィギュアスケートはもちろん、これから就職を考えている体育会学生にアドバイスを送る。
「何人か後輩の選手のエントリーシートをお手伝いしたことがありますが、まずは自分が得意なことをしっかりとアピールしてほしいと思います。それと大切になるのは誰かと一緒に何かを作り上げた経験です。例えば、テレビ局にしても1人では仕事ができないと感じました。たくさんの人の手を介して放送につながっています。
会社になると、仲間意識がすごく大事になります。フィギュアスケートに関しては個人競技。でも、その裏で部活なら連盟の手伝いで選手登録の手続きをみんなで一緒にやっていたとか、何かを作り上げた経験がいろんな場面にあり、すごく大事なものになります。だからこそ、社会に出るにあたり、そうした経験を大切にしてほしいです」
■中野友加里/THE ANSWERスペシャリスト
1985年生まれ。愛知県出身。3歳からスケートを始める。現役時代は女子選手として史上3人目に3回転アクセルに成功。スピンを得意として国際的に高い評価を受け「世界一のドーナツスピン」とも言われた。05年NHK杯優勝、GPファイナル3位、08年世界選手権4位。全日本選手権は表彰台を3度経験。10年に引退後、フジテレビに入社。スポーツ番組のディレクターとして数々の競技を取材し、19年3月に退社。現在は講演活動を務めるほか、審判員としても活動。15年に結婚し、2児の母。自身のYouTubeチャンネル「フィギュアスケーター中野友加里チャンネル」を開設し、人気を集めている。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)