「五輪でメダル獲っても入社します!」 元フジテレビ中野友加里が語る就活時代の秘話
「THE ANSWER」はスポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る連載「THE ANSWER スペシャリスト論」をスタート。フィギュアスケートの中野友加里さんが「THE ANSWER」スペシャリストの一人を務め、フィギュアスケート界の話題を定期連載で発信する。
「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・中野友加里
「THE ANSWER」はスポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る連載「THE ANSWER スペシャリスト論」をスタート。フィギュアスケートの中野友加里さんが「THE ANSWER」スペシャリストの一人を務め、フィギュアスケート界の話題を定期連載で発信する。
今回のテーマは「五輪を目指した私が経験した就職活動」。早大大学院1年生だった08-09年シーズン、競技と二足の草鞋で挑んだのが就活だった。グランプリ(GP)ファイナル5位など世界のトップで活躍する傍ら、大手放送局フジテレビの採用試験を受験し、内定。どのように就活に挑み、競技経験を社会にどう生かしたのか。現役フィギュアスケート選手、体育会学生へ向け、体験談を語る。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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五輪出場と就職内定を目指す。あの年、日本で一番“強い”就活生だったかもしれない。
23歳だった中野さんは08-09年シーズン、1つのことを心に決めていた。競技で翌シーズンに迫ったバンクーバー五輪出場権獲得へ向け、飛躍のステップにするとともに、09年度卒を対象とした企業の採用試験を受験。大学院を修了する10年3月を機に引退し、就職先を決めることだ。
五輪を目指すトップ選手から就活生に。しかし、抵抗感は「全くなかったです」と言う。
「テレビに憧れたのは中学生の頃からです。テレビが大好きでキャスターになりたくて。キャスターといっても政治などにも興味もあり、幅広く仕事ができる記者の仕事に魅力を感じていました。加えて、自分が選手として取材される立場になり、マスメディアの仕事がしたいと思い始め、いろんな方に相談してお話を聞きました。
でも、やっぱり地震、災害が起きた時はまずテレビをつける方が多いですし、スポーツは生中継に勝る魅力がないくらい、多くの方が見てくれます。それほど影響力が大きく、なかでもフィギュアスケートに力を入れ、全日本選手権や世界選手権を毎年中継しているフジテレビで働いてみたいと思い、採用試験を受けようと思いました」
すでに05年NHK杯でGPシリーズ優勝、07年冬季アジア大会優勝、世界選手権3度入賞(5、5、4位)などの実績と知名度を誇る中野さんであれば、引退後、フィギュアスケート界に残り、プロスケーター、コーチ、振付師という道に進むこともできた。
しかし、本人は「もともと引退後はフィギュアスケートを本業にするつもりはなかったんです。引退したら、1人の会社員として働くつもりで、現役中から第二の人生を描いていました」と言うように、小さい頃からの憧れだったテレビ業界への就職を望んだ。
競技と同じように、やると決めたらやる。目標に向かって全力だった。一般の就活生と同様、リクルートスーツを買い、写真スタジオで写真を撮り、エントリーシートに向き合った。「こればかりは一人では難しい」と社会人の姉に助言もしてもらった。
「自己PRに書いたことは、やはり一番は『体力があります』ということ。勉強もスケートも両立させてきたこと、あとはフジテレビのエントリーシートに『わらしべ長者の話を作ってください』というお題があり、最後を『私のドーナツスピンと交換する』と書いて締めました(笑)。
前面的にスケートをアピールすることはしませんでしたが、要所で自分のいくつか得意とすることはアピールしました。スケートしか経験してこなかったので、就職活動は素人で『就職活動はお辞儀をしても崩れない髪型』と学び、取り組んだこともすごく新鮮でした」
こうして「就活生・中野友加里」としてのスタートを切った。