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引退後、月収15万で地獄を見た陸上選手の話「人生で初めて『明日が怖い』と思った日」

心を蝕んだ“辞めたら負け”の感覚「競技時代はどんな時も逃げなかったから…」

――その営業を秋本さんもやったのですか?

「はい。『秋本さんもやってください。手分けしてやりましょう』と言われ、でもそのビルに出入りしているのは学生だけじゃないので、声をかけたら全く違ったりするんです。明らかに体ができている男子2人に声をかけたら、ある私大の軟式野球部員で『ええ、どうしよう』とリアクションをされながら『やっぱりいいです』みたいなことの繰り返しで、めちゃくちゃ断られました。でも2時間やって、やっと2人登録してもらえました」

――そこから、実際に営業するようになったと。

「それが始まりでした。次は都内のある私大のキャンパスに来てくださいと言われたのですが、アポなし。『学生に3年生か確認して決まってなかったら登録させてください』と言われました。体育会の部室に行って『3年生いますか? 就職決まってない人いますか?』と聞いて回って『なんなの、この人』みたいな顔をされながら。俺、何やってるんだろうと、3~4時間歩き回って最後はもう気力が尽きて椅子に座って、ただただ時間が過ぎるのを待ってました」

 これを毎日どこかの大学に行ってやる日々が始まりました。その中でなんとか月に5人、10人と登録してもらっていきました。『何だよ』と思いながら、部活で走り方を教えて、その流れで就職サポートの話までするというパッケージでやったら、別に僕自身はまともに就活もしたことないのに就活の指導までしたりして、月15人、20人という単位でみんな登録してくれて。“営業できる人”みたいになってしまいました」

――会社にとってはありがたい存在ですね。

「そうしたら『月30人いきましょう』となりました。本当はやりたくないですが、母校の監督、知り合いがいる大学にお願いすると、信頼関係があるので『ぜひ、やってよ』となる。実際にある陸上部で30人相手に営業したら30人登録してくれたこともありました。とはいえ、指導できる機会はほぼない。本来目指していたトップアスリートの指導の機会はほぼない状況でした。営業の成績は出ている、ただそれに喜びは一切なかったです。

 でも、決定的だったのはお金のことです。区の仕事でもらっていた金額は個人口座に振り込んでもらっていたのですが、『そのお金は会社の売上になるから会社に戻して』と言われ。『えっ?』と思ったのですが、訳も分からず、結局、数か月毎日のように小学校や中学校で区からいただいていた金額は全部戻すことになりました。つまり、月15万円だけが僕の給料です。それ以外のイベントやトップアスリートへの指導などでもらったお金も会社に戻すという話でした」

――それでは生活も苦しくなりますが……。

「でも、これが普通なのかなと思っちゃったんですよね。だって、分からないじゃないですか、社会の常識が。僕も何回も泣いて『キツイです』と伝えることがありました。でも『秋本さんならできますから、頑張りましょう』と。そうしたら僕も簡単にやめられなくなってしまう。“辞めたら負け”みたいな感覚があったので」

――「辞めたら負け」って、すごくアスリートっぽい考え方ですね。

「まさにそうなんです。競技時代はどんな時も絶対に逃げなかったから。そのマインドだけ転用してしまった。同じように『絶対に逃げない』と思っていたんです。でも、月15万円の給料。家賃10万円くらいの家に住んでいたので、本当にお金がなくて。ごはんは食べない。持っている服をオークションで売る。そんな生活をしていたら引退してほんの何か月で8キロ痩せて、ストレスで2回入院して、虫垂炎にもなりました。

 今も一緒に仕事をしている伊藤友広(アテネ五輪1600メートルリレー4位)と引退後に初めて会った時、顔を見るなり第一声で『真吾、大丈夫?』と言われました。当時は強がって『俺、毎日めちゃくちゃ充実している』っぽい感じを出したくて、そんな発信をツイッターでどんどんしていました。でも、蓋を開けたら全くそんなことはなく、毎日が苦しくて毎日が地獄でした」

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