14歳で選んだ海外留学 水谷隼が「超マイペース」な欧州で知った個人競技の成長法
アスリートのキャリアは選択の連続だ。トップ選手が人生を変えた“2分の1の決断”の裏側に迫る「THE ANSWER」の連載「選択――英雄たちの1/2」。次世代の中高生が進路選択する上のヒントを探る。
連載「選択――英雄たちの1/2」、卓球男子の第一人者が14歳でドイツに渡ったワケ
アスリートのキャリアは選択の連続だ。トップ選手が人生を変えた“2分の1の決断”の裏側に迫る「THE ANSWER」の連載「選択――英雄たちの1/2」。次世代の中高生が進路選択する上のヒントを探る。
【注目】「大人の私も受けたい」とネット話題 誰でも観られる「オンラインエール授業」はこちらから(過去のアーカイブ動画も視聴可能)
今回は卓球日本代表の水谷隼(木下グループ)。全日本選手権10度制覇、リオデジャネイロ五輪銀メダルなど、卓球男子の第一人者として競技を牽引している31歳は、中学2年生で海外留学をするか、否かという選択を迫られた。
14歳という思春期で下した決断が、その後のキャリアに生きたものとは――。
◇ ◇ ◇
水谷の競技人生における「1/2」は14歳、中学2年生という早いタイミングで訪れた。
ドイツ留学をするか、否か。
きっかけはジュニア日本代表合宿で、指導していたドイツ在住のコーチに才能を認められたこと。「水谷はセンスがある。日本の合宿だけじゃなく、普段からドイツで面倒を見たいから来てほしい」と誘いを受けた。当時、地元・磐田の中学2年生。全国中学校卓球大会2位の結果が示す通り、実力は世代トップクラスだった。
ちょうど先輩達が日本卓球協会の支援を受け、前年からドイツ留学していた。その2期生として武者修行に出ることができる。ただし、費用面などのバックアップなどから親元を離れ、青森山田中に転校することが必要になった。
環境を大きく変えて海外に挑戦するか、慣れ親しんだ環境でじっくりと実力を磨くか。
水谷少年が惹かれたのは、前者だった。
「中学のトップ選手はおおよそみんな強豪の青森山田中に進学していた。全日本合宿ではみんなと一緒だけれど練習拠点が別、自分だけ地元の公立中学だった。、ここで強くなれるだろうか?『どこかに行きたい』という挑戦心はすごく強かった。地元でこれだけ成績を挙げられるなら、強豪校で練習すればもっと強くなると思っていた。ドイツ留学の話があったのは、そういうタイミング。
だから、気持ちとしては単純にワクワクの方が大きかった。中学2年生でドイツに行くというのは、絶対望んでもできない。そんなチャンスが自分に来たということ。今でこそ卓球選手も当たり前のように海外に行くけど、当時はドイツに留学して生活できるということに『すごくカッコいいな』という憧れが大きかったので」
思春期に親元を離れる。しかも、行き先は海外。食事や言葉といった環境の違いがあることくらいは容易に想像できる。普通なら不安が先立ってもおかしくないが、本人は「あまり深く考えてなかった。まずは行ってから、なんとかなるだろうという気持ち」で、とにかく強くなることを求めた。
「家がすごく厳しかったのもあって、家を離れてどこかに行きたいという気持ちもあった。そこがドイツだったというだけで、中国とかロシアとか、違う強い国からオファーが来たとしても同じように行っていたと思う。実際に行くと決まると両親も優しくなったけど(笑)、当時から日本一だった青森山田中に行くことも含め、自分が日本一になるのはこれしかないと思った」
こうして水谷は14歳にして、ドイツに渡ることを決めた。