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高校のスポーツ留学と地元進学 バドミントン福島・廣田は15歳で2つの道に分かれた

親元を離れて覚悟が決まった福島、親の支えを力に変えて努力した廣田

 遠く離れた青森で寮生活を始めた福島の場合、ホームシックに直面した。「両親と離れたことがなかったので、最初はつらかった。携帯が使える夜9時までは、電話で『帰りたい』と母に連呼していました」と笑って振り返る。

 しかし、親に甘えられない環境だから、覚悟が決まったことも事実だ。「実家だと、親にやってもらうことの方が多い。洗濯もそうだし、寮でごはんは出るけど、自分で準備しなければならない機会も多く、自立するにはいい環境だった」と言う。

 一つ屋根の下で、集団生活をすることも良さがあった。「同級生はもちろん、先輩、後輩もいて、集団生活という緊張感もあるので、そういう環境で揉まれるのは気持ち的に強くなれた」と技術のみならず、メンタルの成長につながった。

「私も本当は寮に入りたかったけど、寮生が多すぎて通える人は通ってくださいと言われ……」と苦笑いで振り返ったのは廣田。希望が叶わず、自宅から学校に通うことになったが、廣田の性格に合う部分も多かった。

「実家はやっぱり落ち着く場所なので。練習がキツかったとしても、母のごはんを食べられたり、家でゆっくりできる時間があったりしたので、気持ち的には他の寮生よりは余裕が持てていたと思います」

 寮生は食事の関係で帰る時間が決まっていたが、自宅生だった廣田にはそれがない。「部活が終わった後に居残りで打たせてもらったりして、練習は人一倍だった」と環境を生かし、貪欲に成長を求めた。

 支えを力にできることも魅力だった。車で15分の距離を送り迎えしてくれたのは母。「試合で結果が出なくて落ち込んでいる時は言葉はなくとも、気を使ってくれたし、送り迎えも食事もやってもらった分、頑張ろうと思った」と感謝が芽生えた。

 当時は土日も丸一日練習。朝9時から夜9時まで練習だったこともある。普通の女子高生がするような買い物もカラオケもした記憶はない。「『花のJK』とか言われますけど、JKっぽいことしてみたかったです」と笑ったが、それも財産だ。

「そういうバドミントン漬けの3年間だったから、今の自分がいると思う。それがなければ、今はバドミントンをやっているかも分からない。充実していたとは思うけど、ただ、あの3年間には戻りたくないかな(笑)」

 そんな廣田に対し、福島は「私は土日が体育館を男女で交互に分ける形で半日練習。なので、今でいうイオン……当時のジャスコにマックを食べに行っていました」と笑い、寮生活を思い返す。

 実家に帰省できるのは正月の年1度くらい。それでも「寮生活は緊張感もあったけど、楽しい部分もあったので、DVDを借りてみんなで見た。全員で同じ学年で集まってホラー映画でよく盛り上がっていました」と懐かしんだ。

 そんな2人だったが、実は高校時代に対戦経験がある。当時のエピソードを話す機会が、6月18日にあった。

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