医師とは違う道を歩んで 東京五輪金メダル候補・楢崎智亜がクライミングにかける理由
東京オリンピックの追加種目として採用されることになったスポーツクライミング。金メダル候補として期待されるのが、昨夏の世界選手権、複合種目で優勝し代表の座に内定した楢崎智亜だ。爽やかな笑顔が印象的なイケメンクライマーが目指すのは五輪本番での表彰式の頂点だが、選ぶ道が違っていたならば、今頃、白衣にそでを通して患者と向き合っていたのかもしれない。
クライミング界のエース楢崎智亜に単独インタビュー 人生を分けた分岐点とは
東京オリンピックの追加種目として採用されることになったスポーツクライミング。金メダル候補として期待されるのが、昨夏の世界選手権、複合種目で優勝し代表の座に内定した楢崎智亜だ。爽やかな笑顔が印象的なイケメンクライマーが目指すのは五輪本番での表彰式の頂点だが、選ぶ道が違っていたならば、今頃、白衣にそでを通して患者と向き合っていたのかもしれない。
【特集】No.1クライマーが壁に抱く思い 難しいほど「ワクワクするじゃないですか」 / スポーツクライミング・楢崎智亜インタビュー(GROWINGへ)
「THE ANSWER」の連載「選択――英雄たちの1/2」では、23歳の楢崎が語った人生の転機にスポットライトを当てる。
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そびえたつ反り立つ壁とひたすら対峙を続け、五輪の頂点すらうかがえるところまできたクライミング界のエース。その人生の岐路は高校を卒業する直前だった。すでにユース年代でクライマーとしての実績を積み重ね、将来を嘱望されていた楢崎は大学には進学せずに、プロクライマーとして競技を続けることを選択した。
「高校卒業してどうするかが一番悩んだ。僕の世代ですぐにプロになるというのは1人もいなくて、ほとんどの選手が大学に行っていました。なおかつ一番成績が出てたわけじゃない。本当に自分がやりたいのはどっちかというのを考えて、クライミングを選んだという感じがあります」
大学に進学せずにプロクライマーになることは、イコール、家族の敷いたレールから外れることでもある。楢崎の父は内科を開業している。楢崎は3兄弟の2番目で、兄はすぐに違う道を志し、3歳下の弟・明智も自身と同様クライミングに打ち込んでいた。では誰が家業を継ぐのか――。
医師になろうという気はあったのか? という問いには間髪入れず「最初はゼロです(笑)」と笑いながらも、「もともと兄が医学部ではなく普通の大学に行ってて、僕に回ってきて……。弟は全くなる気がなかった。『あれ、俺しかない……』というのもあったんです。途中で、僕が世界に挑んでいるときに、その姿を見て兄が『僕も挑戦してみようかな』と思ったみたいで大学を辞めて医師になるための勉強を始めた。大変そうでしたけどね。それで僕もこちら(クライミング)に専念できました」と明かす。
一方で父親からはプレッシャーもかけられていた。「『プロになって2年以内に成績が伸びなかったら大学受験をしなさい』と言われていました」。父親からは2年間で結果が出なければ、クライミングの世界からは離れて、自身の後を継いでほしいという思いも感じていたようだ。
「僕的にも『継いでほしいんじゃないか』みたいなのはあった。ほかの人に任せちゃうのはもったいないのかなって、当時は思ったりもしていました」
結果的にはプロ転向2年目の2016年にフランスで行われた世界選手権のボルダリングで優勝。同年の年間王者にも輝き、押しも押されもせぬ日本のエースとなったが、もし同年までに結果を出せていなければ……。もしかすると今とは全く違った立場になっていたかもしれない。
一時は真剣に悩んだという自らの歩む道。だが、今はあっけらかんと振り返る。「そんなに悩まなくてよかったなと。今思えばですけど。やりたいことをやるのが一番だと今は思っているので」と笑う楢崎が、悩んだ時に最も大切にする基準とは何だろうか。