萩原次晴さんが語る兄との秘話 “おまけの扱い”覆した競技人生の集大成
「“おまけ”の扱い」を覆した競技人生の集大成
「当時、あらゆるメディアは基本的に健司が話題の中心でした。例えばスポーツイベントに兄弟で出演した際も、『健司さん、そして双子の弟さんにも来ていただいています』と言われるケースもあった。トレーニングでも僕ではなく健司を見に来る人が多くて“おまけ”みたいな扱いだったんですよね。
それが悔しくて、何とかそれを覆すためにはW杯でもなく、世界選手権でもなく、オリンピックで結果を残すことが必要でした。そして世の中に『荻原次晴』という人物が存在していることを知ってもらいたい、そのためには長野五輪しかない、と思い現役生活を諦められなかったんですよね」
そのモチベーションを保ち続け、ついに1998年長野五輪への切符を手にすることに。この長野大会は次晴さんにとっての集大成の舞台となった。
個人の後半、クロスカントリーで最後まで健司さんとマッチレースを繰り広げて6位入賞。「後半クロカンで健司と競い合う姿を見せられたことで、国民の皆さんに『俺たちって、双子なんだよ!』って分かってもらえたと思います。ゴールをした時に五輪を目指してた理由が果たせたのは大きかったですね」。そんな次晴さんは未練なく競技人生から身を引くことができたという。
周囲に大きな実績を残した人がいれば、引け目や嫉妬心を感じることもあるだろう。その気持ちを反骨心に変え、自身を成長させる糧とできるかは本人次第だ。「体だけでなく、脳みそまで汗をかいてトレーニングに臨むことができました」。そう語る次晴さんは現在、スポーツキャスターを務める傍ら、現役のアスリートたちが競技生活を完全燃焼できるよう声援を送り続けている。
【了】
ジ・アンサー編集部●文 text by The Answer
写真提供:Sports Japan Gather