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アフリカに渡った元Jリーガーの執筆コラムvol.2「ザンビア移籍の舞台裏をお話します」

ザンビア移籍直後に同僚(右)と2ショットを撮影し、打ち解けた中町【写真:本人提供】
ザンビア移籍直後に同僚(右)と2ショットを撮影し、打ち解けた中町【写真:本人提供】

アフリカの地で見た一筋の光とマリノスに受けた複数年契約

 18年6月のワールドカップ(W杯)期間のオフを利用し、自分が展開していたボランティア活動「Pass on project」で実際にアフリカに赴いたことです。この想いの部分は別の機会にお話しますが、アフリカという地に自分のサッカー選手としてのキャリアに一筋の光を見ました。

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 エージェントがいなかった私は、シーズン中に移籍先をエージェントのネットワークから探すことができません。そこで、私が一人だけ抱えていた社員に8月にジンバブエに行ってもらいました。いわゆる市場調査です。編集した自分のプレー集を手に現地の日本人を紹介してもらい、実際にチームに話をしに行くというものです。

 結局、国の情勢や経済の不安定さなどから、ジンバブエ行きは消滅しました(スーパーに行ったらお釣りがないので、ぴったりの金額か携帯で払うシステムじゃないと買えないとか、ガソリンスタンドでは48時間待ちとか)。彼の帰国後、ジンバブエの隣にあるザンビア共和国に知り合いがいることが分かり、再度アタックすることを決めます。

 皆さんはそもそもなんでジンバブエやザンビアなのかと思うかもしれません。自分の中ではアフリカ大陸の中でも治安が良いと言われている点が第一、そして、南アフリカやケニアなどの大きな国ではなく、比較的小さな国に行くことが自身のNPOの活動含め、やりたいことに一致すると思っていたからです。

 一方で10月に入り、所属するマリノスでは残留争いで予断を許さない状況が続いていました。チームが降格しないように、そして来シーズンに繋げるシーズンにするために全力を注ぎました。

 やはりチームの結果が出ない時は周りからの声も相まって自分たちのスタイルに疑心暗鬼に陥ります。監督に呼ばれ、コーチに呼ばれ、選手たちの現状やチームをまとめる働きについて話し合ったことは1度や2度ではありません。

 そんな時期のある日、チームのフロントから呼ばれました。来年度からの契約延長についての話でした。

 当時、もらっていた給料とは同額ではないものの、33歳でシーズンの出場時間からは考えられない複数年契約の提示でした。私は金額の確認はせず、こんなことを伝えました。

「複数年契約の提示というだけで、自分は物凄くチームからの愛情を感じます。金額の交渉をするつもりは一切ありません。日本の他のチームに行くということもないと断言します。ただ、自分の可能性について今後の自分のサッカー人生についてトライしてみたいことがあるので、考えさせてください」

 そして、12月のシーズン終了翌日、ザンビアに向け、日本を経ちました。

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中町 公祐

1985年9月1日、埼玉県生まれ。高崎高(群馬)を経て湘南に入団。同時に慶大に入学し、08年から2シーズンは大学でプレー。10年に福岡に加入し、12年に横浜Mに移籍。13年は天皇杯優勝に貢献し、同年のJリーグ優秀選手賞を受賞。翌年から選手会長に就任した。19年1月からザンビアのZESCOユナイテッドFCに移籍。同国ではサッカーと医療でアフリカ地域支援するNPO法人「Pass on」(https://pass-on8.net/)の代表理事を務め、幅広い活動を行っている。174センチ、74キロ。Jリーグ通算341試合出場、35得点。

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