[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「リスク覚悟」で起用し育てられた 三河の生粋のPG熊谷航、競技人生を救った兄の涙

競技人生の危機を救ってくれたのは兄だったと熊谷は話す【写真:(C)SeahorsesMIKAWA Co.,Ltd.】
競技人生の危機を救ってくれたのは兄だったと熊谷は話す【写真:(C)SeahorsesMIKAWA Co.,Ltd.】

競技人生の危機を救った兄の涙「もう一度頑張ってみようと」

 熊谷をバスケにつなぎとめたのは、家族だった。「両親には色々と相談しましたし、兄に電話で『辞めてほしくない』と泣かれたことも大きかったですね。兄が泣くのは人生で初めてのことで、それほど僕に頑張ってほしいんだと強く感じました。家族から大切にされているということも実感できました。それで、もう一度頑張ってみようと前を向くことができました」

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 再びバスケに打ち込み、3年生のインターハイではベスト8入りするも、高校の集大成であるウインターカップを前に脛を骨折して長期離脱を強いられる。

「自分にとっては大きな転機となりました。一度バスケから離れてみて、もっとうまくなりたいと思いましたし、バスケを好きだという気持ちを再確認できました。徐々に良くなっていく過程の中で、バスケをできることのありがたみを実感しました」

 長年酷使してきた身体を休め、大学へ向けて土台を作り直すための良い機会にもなった。「どうしてこの怪我が起こったのか、前の段階で原因がなかったのかを探したり、身体のどの部分が硬いのかなど、自分の身体を知ることができました。食事やトレーニング方法も勉強しました。子どもから大人へと変わっていく時期でもありましたし、一人で色々と考えましたね。考える力はこの時期に養われたと思います」

 大東文化大に進学後も半年以上リハビリ生活が続いたが、熊谷は高いモチベーションを維持して心身を鍛えた。その成果は、復帰1週間後に行われた紅白戦で発揮される。BチームのPGとして出場すると、そのプレーが監督の目に留まりAチーム入り。ほどなくスターターの座を掴んだ。

 シーホース三河加入後もそうだが、熊谷にはチャンスを掴む力があると感じていた。「記憶力がいいのか分からないですが、対戦相手のクセを覚えるのが得意ですね。ベンチでも常に『こっちに行くだろうな』とか分析しながら観るのが好きなので、それが良いのかもしれません」と少し照れながら自己分析する。

 2年生からは本格的にスタメンを任され、熊谷の武器の一つでもあるピック&ロールを習得。3年時にはインカレで初優勝を果たす。翌年のインカレは2回戦敗退に終わったが、キャプテンを経験したことで成長できたと語る。

「クセのあるチームメートが多かったので、うまくまとめるにはどうしたらいいかを常に考えていました。セネガル人が2人いたので、まずはそこのコミュニケーションを大事にして。一人は日本語があまりしゃべれなかったので、もう一人を入れて、チームの戦術やフォーメーションを教えたり、気配りの大切さを学びました」

1 2 3 4

山田 智子

愛知県名古屋市生まれ。公益財団法人日本サッカー協会に勤務し、2011 FIFA女子ワールドカップにも帯同。その後、フリーランスのスポーツライターに転身し、東海地方を中心に、サッカー、バスケットボール、フィギュアスケートなどを題材にしたインタビュー記事の執筆を行う。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集