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チェコNo.1投手が覚えた日本語「シンケイ」 新潟で叶えた“プロ野球選手”の夢…苦闘3か月も代表の力に

「THE ANSWER」では、5日に開幕したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に合わせて参加各国の野球を紹介する連載「ベースボールの現在地」を展開する。チェコ代表のエース、ダニエル・パディシャークは昨年、日本で念願のプロ野球選手となった。足や腕の故障が続き、わずか3か月で退団せざるを得なかったものの、その期間に感じたことがあるという。チェコ代表の選手は、野球のほかに本業を持つセミプロが大半。パディシャークの経験には、今後のチェコ野球発展のヒントがあるはずだ。

チェコ代表のエース、ダニエル・パディシャーク【写真:荒川祐史】
チェコ代表のエース、ダニエル・パディシャーク【写真:荒川祐史】

連載「ベースボールの現在地」チェコのパディシャーク、新潟で得たもの

「THE ANSWER」では、5日に開幕したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に合わせて参加各国の野球を紹介する連載「ベースボールの現在地」を展開する。チェコ代表のエース、ダニエル・パディシャークは昨年、日本で念願のプロ野球選手となった。足や腕の故障が続き、わずか3か月で退団せざるを得なかったものの、その期間に感じたことがあるという。チェコ代表の選手は、野球のほかに本業を持つセミプロが大半。パディシャークの経験には、今後のチェコ野球発展のヒントがあるはずだ。

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 身長196センチ。大柄なパディシャークは記者の前に立つと、右腕を見せながらはっきりと日本語を口にした。その言葉だけで、日本での3か月がどのようなものであったか想像できた。

「“シンケイ”です。シンケイを痛めて、投げられなくなってしまったんです」

 2024年11月、パディシャークはチェコ代表として、名古屋で行われた侍ジャパンとの強化試合に先発した。当時は米国のジョージア大を卒業したところ。150キロを超える直球を武器にし、経済学を専攻したという右腕に今後の進路を聞くと「プロ野球選手になりたいんです……。できたら日本で」と真剣なまなざしで口にした。試合では4回1失点(自責0)の好投。翌年2月には、NPBの2軍に参加するオイシックスへの入団が発表された。新潟県長岡市に転居し、新たな生活が始まった。

 ただ2試合に投げただけで、6月には退団。その原因が右腕の神経損傷だった。「新潟では原因がわからなかったので……」。その間、何度も日本語の「神経」という単語を聞き、覚えてしまったのだろう。退団はチェコに戻り、治療に専念するためだった。何とかWBCには間に合わせたものの、韓国との初戦に先発し初回に満塁本塁打を浴びた。1死しか取れずに防御率108.00という苦い結果で終え、今は復活への途上にある。

 日本で始めた夢のプロ野球生活を「僕が投げていたチェコやアメリカの大学でのスタイルとは、少し違いました」と振り返る。そして「日本代表は世界一のチーム。彼らが強いのは正しいことをしているからだと思います」。その頂点につながるNPBの2軍で、いったい何を学んだのか。

「陽岱鋼選手やエドウィン・エスコバー選手のような、経験豊富な選手がたくさんいたのが良かったです。特にエスキー(エスコバーの愛称)は最高の友人でした。プロ野球選手として、長いシーズンをどう過ごすべきか。彼との会話で考えを聞き出しました。本当にためになりました」

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