「鼻をへし折られた」衝撃の大敗 川口能活がコパ・アメリカに忘れ得ぬ“南米の洗礼”
その後に生きた財産「世界の広さを味わえたという意味で貴重な経験でした」
フランスW杯後の98年9月にフィリップ・トルシエ監督が就任。トルシエ監督は99年のワールドユース(現・U-20W杯)に臨むU-20日本代表と2000年シドニー五輪に臨む五輪代表を兼任して新たな日本代表を作り始めた矢先の大会だった。
さらにこの大会には小野伸二や稲本潤一、高原直泰といったワールドユース組や、同時期にシドニー五輪予選を戦う中村俊輔ら五輪世代の選手はほとんど招集されていない。あるいは唯一の海外組であるペルージャの中田英寿も不参加。フランスW杯メンバーが約半数選出されていたとはいえ、トルシエ監督が考えるベストメンバーとは若干異なる面々で戦わざるをえなかったのである。
事情こそ異なれども、ベストの布陣で臨めないのはもうすぐ大会に臨む現在の日本代表にも通ずるところ。20年前の出来事をまるで昨日のことのように鮮明に記憶していた川口氏は「ここで得た経験が本当に大きかった」と感慨深く語る。
「当時の僕は鼻をへし折られたという気持ちで落ち込みましたが、今になって考えると世界の広さを味わえたという意味で貴重な経験でした。日本代表チームとしても南米チームの強さを肌で感じられた経験が、00年のアジアカップ制覇や02年日韓W杯での決勝トーナメント進出につながっていきました」
23歳だった川口氏に深く刻まれた記憶は“南米の洗礼”と呼ぶにふさわしい。しかし、その後に日本代表が大きく飛躍を遂げるための血肉となったのも、また確かである。
(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)