球数制限は必要? 野球界議論に当事者だったアマ選手は何を願う 今、本音で語ろう
どんなアマ球界であってほしい? 谷田「子供を安心して野球界に…」
――谷田は今後、高校や大学の指導はもちろん、子供ができれば野球をさせることもあり得る。どういうアマ球界であってほしいか。
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谷田「今、こうした動きが出てきて、自分はこっちが合っている、こっちがいいと思う人がどんどん出てきたら勝手に良くなると思う。常に議論が行われていること自体がいいこと。ちょっと前はそれすらなかった。今後、悪いと思ったり、良いと思ったりすれば発言することが当たり前になってほしい。プロでもアマでも野球に限らず、すべてのスポーツでいろんな人が発言していろんな人が聞く耳を持って議論が行われ、良くしていこうという雰囲気の場所であれば、自分の子供を安心して送り込めると思う」
――こういう話題は野球部のメンバー同士で挙がることはあるか。
谷田「あまり話してない。今はみんな、自分のことで精一杯。後輩思いだったり、高校野球が好きだったりすれば話すけど。みんな知ってはいるので、聞かれれば自分の意見はあると思うけど」
内田「自分もつい最近までは自分が良ければいいと思っていた。でも、自分は社会人でクビになって野球を離れて思った。野球界がもっと良くなってほしいし、それを後世に伝えたいなって」
谷田「やっと健全になってきたよね、いろんなスポーツが。サッカーが良くなって、バスケ、バレーが良くなって、その中で野球が頑張りってしっかりとした立ち位置を確立できたら、凄くいい野球界になると思う。他が伸びて選択肢が増えたから野球人口が減っているけど、それは健全な競争。ここで野球界が頑張って良くなれば、もう一つレベルアップできる。遅かったか早かったかわからないけど、危機感を持てることは本当にいいこと。つい最近、神宮でプロ野球を見たけど、いいよね、野球って。球場に向かって屋外でライトついてワクワクして、中に入って『おお、凄い』って思えた。普段の生活では味わえない感覚だったから」
――内田は今後現役として続ける。NPB、MLBに成り上がることを前提として、米国挑戦を今後のキャリアに生かしたいか。
内田「日本と米国の野球は文化も違うから違う点もあるけど、それを誰かに聞いた話をするのではなく、自分が感じて話すことに意味があると思う。なんとなく知識はあるけど、何が違うかは行ってみたら、理由ももっとわかってくると思う。今後の日本の野球が発展していく上で、どういう形かは決めていないけど、還元したいと思っている。この道を選んだ以上、一生野球に携わっていく人生なのは間違いない。何かしらで還元したい。特に人と違う経験の部分では」
谷田「そういう人が増えてくれば、絶対良くなるよね、野球界は」
(終わり)
◇内田 聖人(うちだ・きよひと)
1994年3月1日、静岡・伊東市生まれ。25歳。伊東シニアで日本一を経験。早実高2年夏に甲子園出場し、背番号1を着けた3年夏は西東京大会で高山俊(現阪神)、横尾俊建(現日本ハム)らを擁する日大三に2失点完投も準V。早大では1年春に大学日本一を経験したが、3年時に右肘を故障。社会人野球JX-ENEOSに進んだが、故障の影響もあり2年で戦力外に。以降は社業に就き、天然ガスの営業マンを務める傍ら、個人で1年間トレーニングに励んで復調。今年2月から1か月間、米国でトライアウトに挑戦し、2Aクラスの独立リーグ・キャナムリーグのニュージャージー・ジャッカルズと契約。会社を退社し、NPB、MLBに挑戦する。右投右打。
◇谷田 成吾(やだ・せいご)
1993年5月25日、埼玉・川口市生まれ。26歳。東練馬リトルシニアから慶応高に進学。通算76本塁打を放った。甲子園出場なし。慶大ではリーグ戦通算15本塁打をマーク。4年秋にドラフト指名漏れを味わい、社会人野球のJX-ENEOS入り。高校、大学、社会人すべてのカテゴリーで日本代表を経験した。社会人3年目の18年3月に退社し、MLBトライアウトに挑戦。複数球団の調査を受けたが、契約に至らず。帰国後は四国IL徳島でプレー。昨秋のドラフト会議で指名ならず、引退した。一般企業20社以上から興味を示されたが、今年1月にIT企業「ショーケース・ティービー(現ショーケース)」入社。WEBマーケティングを担う。右投左打。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)