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サッカーの神様を愛した女子ハンド監督の数奇な人生 改めて思った「ジーコって本当にすごい」

緊張しながらジーコ氏から激励を受けるハンドボール女子ブラジル代表監督時代のソウバク氏(左)(画像はブラジルのテレビ局エスポルテ・インテラティーヴォのYouTubeより)
緊張しながらジーコ氏から激励を受けるハンドボール女子ブラジル代表監督時代のソウバク氏(左)(画像はブラジルのテレビ局エスポルテ・インテラティーヴォのYouTubeより)

今でも知名度と人気は世界トップクラス

 サッカーの話、ブラジル代表の話、ジーコの話になると、饒舌の度合いが増す。サンパウロに住み、ブラジル人女性と結婚。「時間がある時はサッカーも見たよ。(かつてジーコが所属した)フラメンゴが好きで、見に行った」。うれしそうに話した。

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 ジーコ氏がJリーグ創成期に日本でプレーし、その後日本代表監督を務めたことも「もちろん、知っている」。もしかしたら、日本女子代表監督を引き受けた背景には、多少なりとも日本で活躍したジーコ氏の影響があったのかもしれない。

 日本サッカーに大きな足跡を残したジーコ氏のように、ソウバク監督にも日本ハンドボール界の変革が期待される。「あなたもジーコのように」と水を向けると「それは難しい。ジーコは特別だから」と首を振った。それでも、28年ロサンゼルス五輪予選を突破すれば、52年ぶりの歴史的快挙。「そのために、少しずつでも進歩しないといけない」。訴えたのは34年前のジーコ氏と同じように選手の意識改革や海外経験の重要性。ハンドボール界にも日本を引っ張る「ジーコ」が生まれるかもしれない。

 多くの日本人がジーコ氏を知ったのは、93年にJリーグがスタートしてから。創造性あふれるスーパープレーで王国ブラジルの中盤に君臨し、世界中のファンを酔わせた80年代の活躍は、意外なほど知られていない。91年に住友金属(現鹿島)入りした時は震えるほど興奮したが、デスクからは「すごい選手なの?」と聞かれた。選手としての評価は日本以上に世界で高いし、今も世界中にファンは多い。

 バスケットボールのBリーグで連覇を狙う宇都宮ブルックスのジーコ・コロネルHCはニュージーランド出身だが、その名前はジーコ氏からだという。日本では「日本代表監督も経験した鹿島のご意見番」くらいの認識かもしれないが、世界での知名度と人気は今も変わることなくトップレベルだ。競技を超え、国を超え、我々の想像をはるかに超えて、ジーコイズムは世界中に広がる。今さらながらだが「ジーコって本当にすごい」と思わされた。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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