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史上5人目1000得点「長くかかっちゃったかな」 五輪落選の挫折から1年、32歳東江雄斗が再起の大台【ハンドボール・リーグH】

ハンドボール・ジークスター東京のCB東江雄斗(あがりえ・ゆうと)が17日、東京・墨田区のひがしんアリーナで行われたゴールデンウルヴス福岡戦でリーグ通算1000得点を達成した。2年目のリーグHと前身の日本リーグを合わせた通算得点数で、1000得点達成は5人目。日本ハンドボール界を引っ張ってきた32歳の司令塔が「記念ゴール」でチームを31-28の勝利に導いた。

チーム最多7得点で逆転勝ちに貢献したジークスター東京の東江雄斗【写真:横田美咲】
チーム最多7得点で逆転勝ちに貢献したジークスター東京の東江雄斗【写真:横田美咲】

松山英樹、富樫勇樹も見守ったゴールデンウルヴス福岡戦で達成

 ハンドボール・ジークスター東京のCB東江雄斗(あがりえ・ゆうと)が17日、東京・墨田区のひがしんアリーナで行われたゴールデンウルヴス福岡戦でリーグ通算1000得点を達成した。2年目のリーグHと前身の日本リーグを合わせた通算得点数で、1000得点達成は5人目。日本ハンドボール界を引っ張ってきた32歳の司令塔が「記念ゴール」でチームを31-28の勝利に導いた。

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「東江ショー」の幕開けは前半18分過ぎだった。先発司令塔の伊禮雅太(いれい・うた)に代わってコートに立つと、苦しんでいたコンディション不良を払拭するように躍動。21分には自ら持ち込み右腕で強烈なジャンプシュートを放った。8-8とする同点ゴールは、通算1000得点目のメモリアル弾。「本当は、もっとおしゃれに決めたかったんですけど」。試合後、東江は笑顔で言った。

 活躍は止まらない。前後半とも18分過ぎからの出場ながら、チーム最多の7得点。相手ディフェンスをかわしての技ありゴール、数的有利な場面ではパスカットから相手の無人ゴールに決めた。得意のステップシュートも冴えて通算得点記録を1006まで更新。相手のプレスディフェンスをかいくぐり「自分が決めるつもりでいった」と、2シーズンぶりの大量得点を満足そうに振り返った。

 もちろん、ゴールだけではない。司令塔としてパスでも魅せた。視野の広さとテクニックの高さ、抜群のセンスは相変わらず。ジャンプした自分の股下からパスを通すなどトリッキーなプレーを披露し、RB蔦谷大雅とのスカイプレーも決めてスタンドを酔わせた。「観客を沸かせることは大切。何かグッとくるプレーを心掛けている」と胸を張った。

「少し長くかかっちゃったかな」と笑った。沖縄・興南高から早大を経て16年に日本リーグ大同特殊鋼入り。大黒柱として活躍し、得点王にも2度輝いた。しかし、21-22年にジークスターに移籍後は得点が激減。「大同の時は、たくさんシュートを打たせてもらえたけれど、今は周りに点を取れる選手がいるので」と話した。ケガにも苦しんだ。長く身体を酷使したため両脚や右肩など満身創痍。スター軍団の中で出場時間も減っていった。

 最大の挫折はパリ五輪前に訪れた。早大時代から名を連ねる日本代表では、常に攻撃の中心。21年の東京五輪後は主将も任され、23年のアジア予選では若いチームをまとめて36年ぶりの自力での五輪出場に導いた。ところが、五輪本番直前でメンバーから落選。調子を落としていたとはいえ、長く日本を引っ張ってきた司令塔で主将でもある東江のメンバー落ちは、衝撃的な「事件」だった。

「もうハンドボールはいいかなとも思った」といい、五輪後には「リーグ戦に集中します」と日本代表への思いを断ち切るように話していた。しかし、今は違う。「もう一度自力で五輪に出て、その舞台に立てるように。代表はあきらめていない」と言い切る。そのためにも、リーグ戦の1試合1試合が大切になる。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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