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イチロー知られざる“1軍半”時代…監督指示に「できません」 18歳の習慣にオリ先輩が驚愕「これ絶対やられる」

18歳のイチローから受けた衝撃を、今も生々しく語る山森さん【写真:羽鳥慶太】
18歳のイチローから受けた衝撃を、今も生々しく語る山森さん【写真:羽鳥慶太】

18歳のイチローが周囲を驚かせた生活習慣「2000どころじゃない」

 練習としては、フリー打撃の際にわざと5メートルほど前に守り、打球が頭上を越えていくようにする。打者と打球を見続けていると、打球が大体どこに落ちるか、自分の感覚と合ってくるのだという。山森さんはのちにロッテのコーチとして、この考え方をゴールデングラブ賞に2度輝く岡田幸文に伝える。イチローの原点も同じだった。

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 またイチローのオリックス時代、試合前のノックやキャッチボールで見せる「背面キャッチ」が名物だった。上体を低くして、背中に構えたグラブへ面白いようにボールが収まるのだ。これも元々、山森さんたち阪急の外野陣がやっていた遊びだ。実質的な意味もある。「いつも同じ捕り方をするんじゃなくてということですね。急にボールが変化する場合もあるじゃないですか。グラブをいろんな使い方をしておけば。そこに対応できるかもしれません。イチローはいつの間にか、僕らよりうまくなってましたよね」。

 山森さんは、1986年に外野部門のゴールデングラブ賞に選ばれたこともある名手。西宮球場の外野フェンスによじ登って本塁打キャッチしたシーンが、米国の野球殿堂で「野球史上最も偉大なキャッチ」として紹介されているほどだ。その目を通じて見ても、イチローはあらゆる意味でレベルが違った。日常を見ていると日々「すぐに抜かれる」という恐怖が大きくなっていった。

「朝6時ごろ起きてきて、マシン打って、シャワー浴びて。朝食食べて。2軍の試合に行って試合前に特打、試合終わってまた特打。で、寮に帰ってきてまた打って。晩ごはん食べてまた打って。1日2000本どころじゃない。もっと振ってた。18歳の子どもがですよ」

 超速で進化していく姿も目の当たりにした。「最初は股関節が硬くてね。開脚すると後ろに倒れていたんですよ。ただ練習していたんでしょうね。1年経ったらもう、前に胸がべたっとつくようになっていましたね」。足が速い選手は身体、特に股関節が硬い傾向があるというが、同時に怪我のリスクも背負うことになる。イチローは日々の努力で、これを両立させていた。

「頭のいい子だったので、メジャーに行っても対応能力は十分あると思いました。そうしたらやっぱり、あれだけの選手になった。僕らがどうこういう存在ではなくなった。オリックスに入ってきた時から、その片鱗はいくつも見せていました。能力が高い、反応が速い、やろうとしたことは最後までやる、とね」

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