工場停止のリストラ発表に「うわっ、マジか」 16年ぶり復活の日産野球部、衝撃2日後の試合で示した“存在理由”

一度は負けた東芝から先制も…さらけ出した新人ばかりの“弱点”
3球目を叩くと、打球は左翼線を抜く二塁打となった。両手を突き上げてのアピールで、スタンドのボルテージはさらに上がった。さらに「2番・右翼」の朝岡慶外野手はバントではなく強攻。中前に抜ける安打で宮川が本塁に滑り込み生還した。大きくガッツポーズする宮川。「どんな相手でも最後まであきらめないこと。自分たちはそれだけは徹底してきましたから」という言葉通り、スコアボードに先に「1」を刻んだ。
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ただ、昨年都市対抗出場を逃している東芝は、簡単に勝たせてはくれない。3回に2点を奪われ逆転された。日産は4回に「6番・遊撃」の宮原光夫が1死二塁から中前適時打し追いついたものの、その後は流れを失ったまま時間が過ぎた。6回、東芝打線に4安打を集中され、2点を勝ち越される。さらに老獪な野球に、ルーキーばかりの日産は翻弄された。
直後の1死一、三塁から、東芝の一塁走者がスタートを切った。挟殺で追い込む間に、三塁走者の生還を許した。2-5となる重い1点だった。石毛は若いチームゆえの経験不足を、こう分析する。
「ああいう想定外のプレーが出た時に、どうしても引いてしまうことがあったり。シュンとしちゃうこともあったり。そうして落ちて行ってしまったのはありますね。劣勢になったときに、どうしても固くなってしまう。そういう姿を会社の人が見ても、ワクワクしないと思うんですよ。その中で諦めないで粘り強く戦うことが、今後もっとできるはずです」
石毛はチームで唯一の社会人2年生。筑波大を出てまずディーラーの茨城日産に就職し、野球部でプレーしていた。今年から本社の野球部が復活するにあたり、転籍して主将に就任した選手だ。初の都市対抗予選で、代表決定戦まで勝ち進んだ収穫を「最初はバラバラ。違う環境でやってきた選手が集まる中で、これが日産の野球というのを作り上げられたのが成長だと思います」と口にする。
そして、社員のバックアップには感謝しかないという。日産の本社は横浜駅前にある。試合が行われた横浜スタジアムは至近距離だ。復活後初めて、ここでの試合となった8日の東芝戦では、実に3800人が日産側スタンドに集まった。
「これほどたくさんの人に応援されたことがないというか、本当にびっくりしたんです。こんなに野球への熱がある会社なのかと。みんな、やらなきゃいけないと思ったでしょうし」
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