「私は10代で白血病になりました」 東京マラソン、30年かけ取り戻した健康体で感謝の10.7km完走

通院卒業は移植から30年、闘病生活を続ける人々へ「自分を信じ、大切に生きて」
再入院。そして、ドナーが必要となった。家族が検査を受けたところ、3歳下の弟が運よく適合。弟は迷うことなく提供を申し出てくれた。その後は順調に回復したが、通院を卒業できたのは移植から30年の2024年だった。
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「ようやく肩の荷が下りました。本当にうれしかったです。家族や親戚、友人、医師や看護師さん、お知り合いや見ず知らずのたくさんの方々の献血にも助けていただいて命をつないでいただきました。本当に数えきれないほどの方の支援やサポートがあって私はいま元気に生かしていただいているので感謝の気持ちでいっぱいです」
そして、「今までお世話になったたくさんの人に感謝の気持ちと元気な姿を伝えたい。何かに挑戦したい」と思うようになり、山口さんは東京マラソンの移植者枠にエントリー。ぜん息を発症していた影響から5キロ以上のランニングが難しい状況だったが、可能な限りの練習を重ねた。迎えた当日。不安も抱きながら、スタート地点に立ったが、制限時間内の1時間23分36秒で完走を果たした。
「当日はワクワクとドキドキでスタートしましたが、最後まで走り切れるかどうかすごく不安でした。会場のランナーのみなさんがゴールに向かって走る熱気に背中を押されました」
心身から湧き出た達成感。山口さんは今、「次は入賞を目指して、もっと体調を万全にして挑みたいです」と話している。
そして、闘病生活を続ける人々に向けて、山口さんは心からエールを送った。
「つらさの真っ只中にいるかもしれないし、長いトンネルの中にいるかもしれない。希望を持ち続け、自分を信じ、自分を大切にして生きてほしいです」
「頑張って」とは言わない。それは、多くの闘病者が十分に頑張っていると知っているからだ。自分にできることは、30年をかけて取り戻した健康体を生かし、「こんなに元気になれる」と示すこと。山口さんはそのために、再びランニングシューズを履く。
(THE ANSWER編集部)