「私は10代で白血病になりました」 東京マラソン、30年かけ取り戻した健康体で感謝の10.7km完走
「私は10代で白血病になりました」。そう語るのは、千葉県在住で米粉パン教室の講師を務める山口直美さん(49)だ。抗がん剤治療、骨髄移植などの闘病生活をへて、昨年の夏に経過観察のために、年一度通っていた病院(外来)を卒業できたことを機に、彼女は今月2日に開催された東京マラソン2025の移植者枠(10.7キロ)にエントリーし、完走を果たした。大会を終え、山口さんに今の思いを聞いた。(取材・文=幸田彩華)

東京マラソン2025の移植者枠(10.7キロ)に出場
「私は10代で白血病になりました」。そう語るのは、千葉県在住で米粉パン教室の講師を務める山口直美さん(49)だ。抗がん剤治療、骨髄移植などの闘病生活をへて、昨年の夏に経過観察のために、年一度通っていた病院(外来)を卒業できたことを機に、彼女は今月2日に開催された東京マラソン2025の移植者枠(10.7キロ)にエントリーし、完走を果たした。大会を終え、山口さんに今の思いを聞いた。(取材・文=幸田彩華)
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体の異変を感じたのは高校1年、15歳の時だった。体育祭の応援団での活動中、異常な疲れを感じたのが始まりで、程なくして鼻血が止まらなくなった。そして、体には見覚えのない青あざが現れ、遂には歩くことさえ困難になった。
青春の真っ只中、突然「白血病」と診断された。「なんで、私が……」。戸惑い、理不尽な現実に苦しんだ。

入院後は抗がん剤を使用した治療が始まった。白血球が極度に減少し、感染のリスクが高まるため、隔離されたクリーンルーム(無菌室)で過ごすが高熱に苦しみ、生死の境をさまよう瞬間もあったという。
「先生、看護士さん、親もいて『今夜が山です』って言っているのが聞こえている時がありました。それはすごく意識の遠いところで、いまだに覚えてる記憶です」
発熱は収まり、命を繋ぐことはできたが、抗がん剤の副作用で髪は抜け落ち、食欲も失ってしまった。それでも、家族の支えや医療従事者の励ましに支えられた。以降は、人毛のかつらを着用しながらの学校生活と通院の日々。しかし、3年で進学が決まった矢先に再発が判明した。