日本の高校球児だった侍J撃破の台湾主将 野球留学の学びを繋いだ世界一「技術、文化も…」
続く台湾から日本への野球留学、新たな世代への期待「野球の技術だけでなく…」
「日本の野球はすごくすごく強いといつも思っていましたし、今回の優勝に関してもまだリアルだとは感じていないんです。この優勝が次に頑張るきっかけ、次に進むステップになればいいと思います」
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日本と台湾の野球交流は様々なレベルで行われているが、今もかつての陳傑憲と同じように、甲子園を目指して日本の高校に留学する選手は多い。後輩たちへの期待を「野球の技術だけでなく、文化も学んで台湾に持って帰ってほしい。それをそばにいる選手にまた広げて、影響が広がっていけばいいと思います。それで次の素晴らしい選手が出てきたらいいなと思っています」と口にする。
台湾野球がさらに進歩する時、日本からの学びは欠かせないと見ている。今、日本の高校でボールを追う選手たちが、いつか自身のように代表でも中心選手になるのを願う。
陳傑憲の好きな日本語は「やればできる」だ。高校時代、いつも校長先生が生徒に向かって「共生の皆さん、やればできます」と口にしていたのだという。いつの間にか、脳裏にこびりついていた。立てた目標に、一歩一歩近づいていく術を学んだ。だから、東京ドームを包んだ熱狂が落ち着き、日付が変わろうとする頃、日本語で言った。
「やれば、できましたね。本当に」
2026年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が控える。台湾は予選からの出場となり、来年2月にはもう新たな戦いがスタートする。「私は2年後には32歳になります。また代表に選ばれるかはわかりませんけど、また私を必要と思ってもらえるなら、いつでも来られるように毎日準備をしたい」。台湾野球の歴史を変えたキャプテンに、当面休む時間はなさそうだ。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)