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五輪から消えた野球「裾野が小さく…」募る危機感 復活のロス五輪は「勝てばいい」じゃない日本の責務

東京五輪の代表にかけた思いを語る山中氏【写真:羽鳥慶太】
東京五輪の代表にかけた思いを語る山中氏【写真:羽鳥慶太】

五輪に野球がなかった13年間「話題に入っていけないんです」

 野球界としては、東京で五輪が行われること、そこに野球が加わり、代表が勝ち進むことに大きな期待をかけていた。代表の稲葉篤紀監督(現・日本ハム2軍監督)が繰り返していたような、最後に正式種目だった2008年の北京大会でメダルなしと惨敗した悔しさを晴らすためだけではない。切羽詰まった事情があった。

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 日本の野球人口は、北京大会のころがピークだった。例えば日本高野連が公開している登録部員数は、この年16万9298人。翌年には五輪効果もあったのか微増している。2016年ごろまでは17万人に迫る数字をキープしたものの、その後急落して2024年は12万7031人にまで減った。それ以上に、子どもたちの野球離れが叫ばれるようになって久しい。

「お金がかかる、場所がない、試合が長い、丸刈りにしないといけない、指導者が怖いとか……。野球のイメージそのものが悪くなっていた」。それを回復させるために、五輪野球があればと何度も思ったという。

「五輪での『柔道が、水泳が』という話題に、野球は入っていけないんですよ。昔は年末になれば、テレビ番組でプロ野球選手と力士が歌っていた。でも今はそうじゃない。スポーツの多様化はいいことだと思います。でも4年に1回の盛り上がりに入れないと、競技のすそ野が小さくなっていく。数が減ればいずれ質も落ちる。あれくらい俺でもできるというプロになってしまったら、魅力はないんです」

 野球離れの対策として、プロアマ含めれば全国で年間6000件近い野球教室が行われている。それでも、五輪という“祭典”の影響力にはかなわない。

「野球が北京大会の後、東京まで行われなかった。13年かかりました。10歳の子が、23歳になるまでオリンピックの野球を知らないわけです」。特に痛かったのは、母親に野球の魅力が届く機会がなかったこと。野球界から突き抜け、一般社会にまで広がる影響力は五輪しか持ちえない。

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