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なぜ、この世界にオリンピックが生まれたのか 4年に一度、スポーツの勝敗の先に近代五輪の父が描いた理想

クーベルタンが感じたスポーツ界の国際平和貢献の必要性

――クーベルタンがオリンピック競技会を復興させ、この古代オリンピアの平和思想を取り込むことになります。19世紀末の時代背景もあったのでしょうか?

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「そのころの欧州では国際平和運動が、同時多発的に起こっています。国際赤十字運動、ノーベル平和賞の設立、世界平和会議の開催などがあり、クーベルタンはやはりスポーツ界も国際平和に何とか貢献できないかと感じていたのは事実でしょう。オリンピックを復興しながら、教育運動から平和希求運動に繋げていくという当然の流れがあったのかもしれません」

――しかし最初のころは、クーベルタンの考えはあまり理解されなかったそうですね。

「彼は世界中を自費で旅して、シンパをつくっていきます。貴族としてそれだけの資金があったということだと思いますよ。最後はお城まで売ってしまって、苦しい生活を強いられることになりましたけど」

――1896年にアテネで第1回大会が開催されました。クーベルタンの執念が実ったわけですが。

「第1回から第3回大会までオリンピックは個人参加でした。ところが第4回のロンドン大会から国別参加にして国旗を掲げて入場行進するようにしたら、オリンピック人気が一気に高まったわけです。国という枠を超えて世界市民思想、つまりコスモポリタニズムと言っていいような考え方を持っていたクーベルタンの思想は理解されず、皮肉にも国の代表として競い合うことで人々は熱狂していきました」

――平和希求の願いも届かず、1914年に第1次世界大戦がぼっ発。1916年のベルリン大会は中止になりました。エケケイリア(聖なる休戦)の実現は難しかった、と。

「理想と現実のギャップということですかね。現実のほうがはるかに強い。いくら素晴らしい理想を掲げても、世界の政治家は動かない。現実に生きる人々は理想を理解しづらく、オリンピックは戦争を止めることはできなかったという現実がありました」

――1936年にはナチス政権下でのベルリンオリンピックが開催されます。なぜ平和を愛するクーベルタンが、賛同したのでしょうか? この後世界は第2次世界大戦に突入していき、オリンピックは2大会にわたって中止になります。

「開会式含めて盛大なお祭りをしたいっていうのがクーベルタンの理想でもあったわけですね。彼が理想とするオリンピックの形を実現してくれたのがベルリン大会でもありました。実は、ベルリン大会のシンボルマークは平和の鐘。ナチスも形式上は平和の祭典であることを謳っていて、さらに言えばオリンピアで採火する聖火リレーを新しく導入したことでクーベルタンは喜んだに違いありません。欧州の連帯だというメッセージと言われて、信じ込んでしまった。実際、ナチスが裏で何をやっているかを分かっていなかった。その後のクーベルタンは傷心の日々を送ることになっていきます」

(第2回に続く)

(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)


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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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