オリンピックの今、問う「なぜ人はスポーツをするのか」 源泉にある人間の欲求とルールが生む面白さ――中京大教授・來田享子
クーベルタンが残した言葉に語られたスポーツの全て
クーベルタンは「力と欲望のコントロールのためにスポーツはある」と言いますが、これこそがまさに長い時間をかけて、人間がスポーツを通して育んできた欲望の抑制です。
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もしも、力のあるものだけが有利になるルールを作ってきたなら、スポーツとは権力者だけが楽しめる、権力者のためだけのルールになっていたでしょう。しかし、スポーツはそうはならなかった。誰も「自分が勝てるものになればいい」とは考えず、「自分は負けるかも知れないが、やっぱりこのルールだよね」と話し合いながら作り上げてきたからです。
私は、対話の中で公正さの基準を見つけ出すという行為が、人間の持つ自由を求める気持ちや人間の尊厳を守ろうという精神の現れだと考えます。
その源泉にあるのは、自分の欲望と自由を求めた中での戦いを、楽しみたいからではないかと思うのです。そこにスポーツの希望を感じますし、すごく素敵なところだと思います。
自分に不利かもしれないルールも飲み込み、ルールと向き合いながら、勝とうとする。そして、何とか勝とうと、のたうち回る人を、誰も笑いはしない。
力と欲望のコントロールに成功することも失敗することもあります。そして、スポーツにはそのすべてが映し出されます。
だからスポーツは面白いし、そこに人間の、スポーツの持つ可能性をすごく感じます。
クーベルタンが残した言葉に、スポーツの全てが語られていると思うものがあります。
「競技は、観察、批判的思考、自制心、計算にもとづく努力、エネルギーの消費、さらには失敗に直面した際の実践哲学の種をまく。それらは若者たちにとって、避けがたく必要なものなのだ」(1919年IOC委員に宛てた書簡より)
私も学生時代は競技者でした。大した選手ではありませんでしたが、この言葉を知ったとき、スポーツを愛し、スポーツの研究者であってよかったと感じたものです。
(続く)
■來田享子 / Kyoko Raita
中京大学スポーツ科学部・大学院スポーツ科学研究科教授。博士(体育学)。日本体育・スポーツ健康学会、日本スポーツとジェンダー学会会長。日本オリンピック委員会理事、日本陸上競技連盟常務理事。神戸大卒、中京大大学院博士後期課程修了。2008年より現職。オリンピック史やスポーツにおけるジェンダー問題を専門とする。中京大学スポーツミュージアム館長。『よくわかるスポーツとジェンダー(ミネルヴァ書房)』でJSSGS学会賞受賞。国際オリンピック史家協会“Vikelas Plaque”受賞。
(THE ANSWER編集部)