天国で父はきっと黙っていない 斉藤立よ、鬼になれ 36年前、仁さんが知った五輪で一番大切な「ここ」
4年後、気持ちを前面に出して金メダルを獲得する姿がどうしても見たい
もちろん、立も金メダルをとる力はあっただろうし、覚悟を持って大会に臨んでいたはず。ただ、父ほどの決意はあっただろうか。昭和の時代の金メダリストと比較するのに無理があるのは分かる。時代も違うし、柔道も違う。それでも「最後は気持ちよ」と、天国の仁さんは言っているような気がする。
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大会1年前にパリ五輪の代表内定が出た時「早すぎる」と言った柔道関係者がいた。「あの性格だと代表決定で安心してしまう。ギリギリまで競わせた方がいいのでは」という意見だった。結果論かもしれないが、追い込まれた方が力を発揮できたのかもしれない。
仁さんの立への厳しい言葉を聞いていたから、どうしても父親目線になってしまう。ただ、まだ22歳。仁さんの言葉を借りれば「まだ子どもよ」かもしれない。精神的に強くなるのはこれからだ。
仁さんの重量級への思いは相当なものだった。88年ソウル大会後、超級は金メダルから遠ざかり、その後優勝を果たしたのは04年アテネ大会の鈴木桂治(現男子代表監督)と08年北京大会の石井慧。いずれも代表監督の仁さんが「鬼」になってつかんだ金メダルだった。
息子の金メダルを見届けるつもりだった「鬼」はもういない。だからこそ、立自身が「鬼」にならないと。4年後は仁さんが最初の金メダルを手にしたロサンゼルスでの大会。気持ちを前面に出して金メダルを獲得し、表彰台で涙する立の姿が、どうしても見たい。
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)