「物語としてできすぎている」 野村克也監督も率いたシダックス、再び野球界とつながった奇跡の“縁”
野村シダックスの躍進支えた“食” 今度はNPB目指す若い選手に提供
シダックス広報室の山下浩志さんは「古い社員の中からは、こういう形で野球にまた関わるとは……という驚きの声が上がりました。社会人野球チームの解散から、もう18年の時を経ています。シダックスの歴史というものを、社員に伝えていく意味があるのかなと思っています」と、同社と野球との運命的なかかわりを振り返る。
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創業者で、野球部の総監督という肩書もあった志太勤氏も、オイシックスの支援で再び野球とつながることには「すごくうれしいし、感慨深いものがあった。物語としてできすぎている」と喜んだという。
志太氏が野球にのめり込んでいった裏には、静岡・韮山高で投手だった自身の経験があった。2年生の夏に肩を痛め、医師に「もう一生野球はできない」とまで言われた。途方に暮れていると「野球だけが人生ではない。日本一の商売人になればいい。これも大変な挑戦だ」と諭され、1960年にシダックスの前身となる企業を興した。
その後も40年に及ぶアスリート食の研究、社会人チームを持つ企業やプロチームへの支援など、食の領域からスポーツの発展に尽くしてきた。かつて野球部が残した成果は、野村監督のID野球のベースに、企業としてのスポーツ食研究があってのものだった。
今度は、NPBへの復帰やドラフト指名を目指すハングリーな選手に、培ってきた知恵が還元される。すでに本拠地の新潟で、公認スポーツ栄養士による選手への講座も開いた。野村氏が2020年2月に亡くなる直前、最後に表舞台に立ったのはシダックス野球部のOB会だった。事あるごとに当時を懐かしんだ野村氏も、きっと喜んでいるに違いない。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)