「人生は唯一無二のストーリー」 W杯で吉田麻也と国歌斉唱、車いすの大学生・持田温紀が描く夢
車いす生活になっても「僕は人生のフィールドでサッカーを続けている」
競技は違えど、日本代表の選手として立った世界選手権の舞台。15人が出場した男子フリースタイルのクラス2で、持田さんは11位という結果を残した。パラダンススポーツを本格的に始めて約9か月。「僕自身、まだまだダンスが下手くそなところはありますが、いろいろな出会いを通して培ってきたものを表現することはできたと感じています」と振り返ると、1年前の時点では予想できない日々を過ごしたことに感謝の言葉を続けた。
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「人生って本当に唯一無二のストーリーだなと実感しています。僕自身、これまで1人でできたことは全然なく、いろいろな方との出会いが自分の進むべき道を示してくれました。確かに今の僕は、大好きな緑のフィールドに立ちサッカーをプレーすることができなくなりました。ただ車いすの生活になっても、いろいろな人とのかけがえのない出会いがあり、そうした方々が自分を支えてくれて、パスを出してくれる。そのチャンスを生かせるように、僕自身もドリブルを練習するようにたくさんの努力をします。もちろん、もっとゴールを決めなくてはいけないのですが……(笑)、結局僕って、人生というフィールドの中で多くの方の力を借りながら、今もサッカーを続けているんだろうなと最近感じています」
そんな持田さんは4月から、中央大学の“5年生”になった。
「単位は取り終えているのですが、この1年ですごくいろいろな可能性が広がって……。ダンスも続けたいし、やっぱりサッカーなどスポーツに関わることで挑戦をしていきたい、夢を描いていきたいという思いが強くなり、もう1年、大学生を続けることにしたんです」
やるべきことは、たくさんある。持田さんは中大サッカー部の事業本部スタッフ、パラダンススポーツ選手の肩書き以外に「パラ大学祭」運営代表を務めており、この活動にもさらに力を入れていくつもりだ。
「パラ大学祭に僕が初めて参加したのは大学2年生の時でした。いろいろな学生がイベントに関わり青春をしている空間の中に、なんとなく車いすがある感じが見ていてすごく新鮮で、『自分が探していた景色はここに広がっていた』と感じたんです。それがすごく嬉しくて、この景色を作る側になりたい、もっと多くの大学生に届けていきたいと思い、運営に携わるようになりました。
スポーツは『楽しさを共有できるもの』だと思うんです。僕自身、車いすバスケはできますが、両足で立ってバスケをすることはできません。でも多くの障がいのない方は立ってバスケもできるし、車いすに座ってバスケもできる。じつはパラスポーツのほうが、どのスポーツよりも裾野が広いのではないか。障がいのある、なしを超えて楽しめるスポーツなのではないかという発想から、今は障がいのない多くの大学生に向けてパラスポーツを届けてみたいと思っています。『大学生の運動会イベントがあるよ』くらいの感じで多くの人がパラスポーツに触れて、車いすについて知ってもらいたいんです」
その言葉どおり、3月には京都でパラ大学祭を開催。今後は全国各地を回って実施していきたいと意欲を見せる。