とび職の仕事中に切断した左足 スポーツと無縁の人生は40歳で激変、不惑を過ぎて挑んだ“世界”
世の中のオジさん世代に勇気を与えるチャレンジ
46歳でメンバーに選出され、念願の東京パラリンピック出場を果たした。ただ1次リーグは3戦全敗に終わり、7、8位決定戦でも中国代表に敗れて1勝することもできなかった。それがまた飯倉のチャレンジ精神に火をつけることにもなった。
「中国戦の最後、僕が手を伸ばした先でボールが落ちたんですよ。もうちょっと手を伸ばせていれば届いたんじゃないかと思ったら、これがもうメチャクチャ悔しくて。東京パラリンピックに出場できてうれしかったけど、最後は悔しい気持ちばかり。消化不良と言いますか、次は絶対に拾うと思って練習に取り組んでいます」
今夏にパリパラリンピックが控えており、飯倉のトレーニングにも一層熱が入っている。出場チケットを懸け、4月の最終予選に臨むことになる。
アラフィフの飯倉の意欲的なチャレンジは、世の中のオジさん世代に勇気を与えていることは言うまでもない。好きなものに情熱を傾けることで、結果的に仕事も家庭も充実させている。
「やっぱりチャレンジすることの大切さ。やらないという選択肢を省いて、いいと思ったら何でもやってみるのが自分の考え方です。人生においてチャレンジしないで、後になってから“やっておけば良かった”というのは嫌ですよね。経験あるとかないとか関係なく、チャレンジしてきて僕は良かったなって思っています」
彼はキッパリそう言い切る。
チャレンジそのものが人生を豊かにする。成功するか失敗するか、飯倉喜博にとって結果は二の次なのである。
(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)