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左脚を切断しながら高校時代は野球部、ハンディは「言っても仕方ない」 パラサイクリング川本翔大の生き様

川本は母と恩師への感謝を語った【写真:松橋晶子】
川本は母と恩師への感謝を語った【写真:松橋晶子】

母とともに感謝を向ける恩師の存在「あの言葉がなかったら…」

 強く感謝の思いを向けるのは、パラサイクリングの世界に引き込んでくれた恩師に対してもそうだ。高校卒業後、日本パラリンピック委員会による選手発掘事業のイベントに参加することになったのがこの競技に出会ったきっかけだった。ここで指導してくれた元日本代表チーム監督の権丈泰巳さんに素質を見出され、本格的に始めるようになった。

 当初は地元・広島から週末になると練習拠点の伊豆ベロドロームに通う生活を続けていた。大きな負担となってしまうため、権丈の取り計らいによって仕事をやめて静岡に移った。

「自転車に向いているんじゃないかと僕を拾ってくれて、それに次の仕事が決まってないのに面倒を見ていただいた」

 競技を始めて8か月でリオパラリンピック出場。しかし繰り返していた自己更新がストップしたことのショックもあって、これから競技を続けていくかどうか悩みに悩んだ。そんなとき地元に戻って練習するよう、提案してくれたのが恩師であった。そのおかげもあってモチベーションを取り戻し、メンタルもずいぶんと強くなって東京パラリンピックに臨むことができた。

 得意の個人3km追い抜きは4位、1kmタイムトライアルも6位入賞とリオを上回る結果を残せた。日ごろやってきた成果を実感として得られた。次のパリでのメダルが、現実的に視界に入ってきた。

 世界選手権で獲得した3個の銀メダルも「権丈さんのおかげ」と川本は言う。

「ワールドカップで落車して首を痛めてしまって次の全日本選手権ではあまりタイムも良くなかったんです。調子が上がっていかなくて『本来なら(世界選手権に)行かせない』と権丈さんにちょっと強い言葉で言われて、気持ちが切り替わりました。絶対にやってやるぞって。おそらく僕の心理面を考えて、そんなふうに言ってくれたんだと思います。あの言葉がなかったら、メダルもなかったはずです」

 母への感謝、恩師への感謝。

 母の教育方針や恩師の指導がなかったら、「飽き性な性格」の自分がここまで自転車にハマることはなかった。そしてパラサイクリングが、自分の人生を豊かにしてくれていると実感できている。

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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